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チャカ・カーン|ソウルシンガー

チャカ・カーン/Chaka Khan。1953年3月23日生まれ。アメリカのイリノイ州ノースシカゴ出身。R&B、ソウル、ファンク、ポップ、ディスコ、ゴスペル、ジャズを歌う。

クリス・マーチのオレンジのドレスを着たチャカ・カーン

シカゴの荒れた南側の公営住宅地があるハイドパーク地域の自由奔放な家庭で音楽に囲まれながら育った。祖母が家でジャズを良く聴かせていた、あるいは父親に連れられた公園での演奏に触れたらしく、小さな頃から引き付けられていた。五人の兄弟姉妹の長女で、後年、チャカ・カーンだけではなく、妹のタカ・ブームと弟のマーク・スティーヴンスオーラの元メンバー)も歌手デビューを果たして活躍を見せている。

十歳頃になるとR&Bに興味や関心を示し、十一歳で妹のタカとクリスタレッツという少女グループを結成してスプリームスのような煌ひやかな衣装を着ながら気に入りのスプリームスのR&Bやビリー・ホリデイのジャズやグラディス・ナイトのソウルなどを積極的に歌うようになった。

モータウンレコードの人気歌手のメアリー・ウェルズと巡業したりもしたアフロ=アーツシアターという黒人のための集会場に出入りした。

あるとき、学校を休んで観に行った映画のThe Battle Of Algiersアルジェの戦いから黒人の解放運動に感化されて――アルジェリアでの民族解放の物語がアメリカでの差別解放の生活と結び付いたゆえに――シェイドオヴブラックというグループに参加した。一生懸命に音楽をやって歌に上達しただけではなく、頭にターバンを巻いて自分たちでパンを焼いて食べたり、アフリカの系アメリカ人という黒人として生きるとは何かを文化的に追求してもいた。

チャカ・カーンはキリスト教のカトリックの信者だったけれども十三歳のときにアフロ=アーツシアターで出会ったアフリカのヨルダ族の司祭からシャカ・アドンネ・アドフェ・イェマヤ・ホダーリ・カリフィ(Chaka Adunne Aduffe Yemoja Hodarhi Karifi)という名前を授かった。本名はイヴェット・マリエ・スティーヴンスだけれどもこのときのヨルバ語の名前の最初の部分が芸名のチャカ(シャカの英語読み)の由来になっている。シャカはアフリカのズールー族の戦士を意味して女らしく勇ましい発音のすなわち「火の女」を表す名前になる。アフリカのヨルバ族の司祭によって黒人の解放運動、いい換えるとパンアフリカ主義――世界中のアフリカ人とアフリカ系住民の抑圧からの解放と自由への連帯を訴える政治的な思想――へ尚更と傾倒したようだ。芸名の名字のカーンは十七歳でハッサン・カーンと初めて結婚したときの名字で、間もなく離婚した後もヨルバ語の名前と共にずっと使い続けている。

1969年に父親の再婚相手のコニーが支持して数年前の1967年に知り合っていたシカゴ出身の革命家のフレッド・ハンプトンがいる黒豹党に入党した。高校も中退して道端で党新聞を売ったり、地元の貧しい子供たちの無料朝食のプログラムを手伝ったり、意味のある生活に満足したけど、ところが鉄砲を渡されて武器の運び役になるのかと訝った時点で、自分には向かないと感じながら鉄砲を池に投げ捨てて黒豹党の党員も同年に止めてしまったらしい。

母親は黒豹党を支持するから納得できなかったのか、もはや対立せざるを得ない気持ちからチャカ・カーンは十六歳で家を飛び出した。

その後、父親と僅かに過ごしてからハッサン・カーンと知り合って直ぐに離婚したのが十七歳だった。彼は地元で演奏していたキャッシュ・マッコールのライフというバンドで、ベースを弾くことがあってチャカ・カーンも入って歌うようになった。

しかしベビー・ヒューイ&ベビーシッターズでも彼はベースを弾くことがあったらしく、1970年にヴォーカルのベビー・ヒューイが薬物関連の心臓発作で急逝した代わりを頼まれてチャカ・カーンは受け入れると共にライフを辞めた。

翌年にベビーシッターズが解散すると色んなハンドと音楽活動を続けながら偶さかルーファスのヴォーカルを脱退するポーレット・ウィリアムズからベビーシッターズの友達を介して紹介されて代わりに入ったのが歌手として芸能界に頭角を現す最大の要因になった。

チャカ・カーンにとってルーファスが今までで、一番、良い感じでやれたバンドだったようで、相当に気に入っていたんた。ミュージシャンのアイク・ターナーがチャカ・カーンを気に入って自身のアイケッツに誘ったけれども断られたらしい。すると数週間後にルーファスはプロデューサーのボブ・モナコの目に留まり、紹介されたABCレコードと契約してバンド名を冠したアルバムのRufusでデビューを飾った。

1973年、しかしアルバムやシングルもさほど売れず、二枚目のアルバムのRags to Rufusの制作に入って翌年に発表したけど、そこから出たシングルのTell Me Something Goodが大ヒットしてルーファスの名を、一躍、国全土へ轟かせたんだ。

スティーヴィー・ワンダーがチャカ・カーンのために書いた曲で、ルーファスのデビューアルバムに彼のMaybe Your Babyのカヴァーが収録されたのが縁だったのか、芸能界でブレイクする後押しになった。

1970年代のチャカ・カーンはルーファスの仲間たちと共に歌手として一時代を築いた。歌に加えて独自のセクシーな衣装――アメリカ先住民を模したり、鮮やかなフリルや太股の長いスリットや腹出しなどがあった――で、人々の注目を集めた。ファッションと結び付く面も強かったわけだ。アフリカ系アメリカ人の雑誌のJetの表紙の写真にも良く登場していた。

チャカ・カーンがどんどん人気を博してヴォーカルとしての存在感が増すに連れてルーファスのバンド名にも表されてルーファスフィーチャリングチャカ・カーン、ルーファス&チャカ・カーン、ルーファス&チャカと前面に出されるように変化して行く。

そうした流れの中で、チャカ・カーンはルーファスに在籍しつつもスティーブン・ビショップシカゴギャップバンドジョニ・ミッチェルレニー・ホワイトクインシー・ジョーンズなどの他のアーティストの作品にヴォーカルで参加する機会も増えて来ていて1978年のアルバムのChakaでついにソロ活動も開始した。

アシュフォード&シンプソンが書いたI'm Every Womanが後にホイットニー・ヒューストンカヴァー(映画のThe Bodyguardボディガードの挿入歌)でもさらに名を上げたけれども色んな歌手から愛されるチャカ・カーンの代名詞とも過言ではないディスコヒットの華やかな名曲となった。

チャカ・カーンはルーファスに戻るとクインシー・ジョーンズのプロデュースでアルバムのMasterjamを出して、又、ヒットするというもはや完全に乗りに乗った音楽人生に突入していた。

他方、ルーファスはチャカ・カーン抜きのアルバムを出してもさほど売れなくてチャカ・カーンのソロ活動が活発になるに連れてバンドとして持ち堪えることが厳しくなって来たようだ。

後日談によれば最初に出したソロアルバムのChakaの時点で、ルーファスを辞めるつもりのチャカ・カーンだったらしいけれども気乗りしくなったのか、Masterjam以降のルーファスでの活動は忙しいソロの片手間とも見做されるくらいパッとしなかった。

1983年に前年のライヴを収めたアルバムのStompin' At the Savoyを出してルーファスは解散した。最後に大ヒットしてメンバーのそれぞれの花道を美しく設えた。アルバムのボーナストラックでシングルで出されたAin't Nobodyも可成の人気曲になった。翌年に映画のBreakin'ブレイクダンスの挿入歌になったり、チャカ・カーンの気に入りの持ち歌だけだけれどもその他にジャッキー・グラハムダイアナ・キングメアリー・J・ブライジなど、色んなアーティストにも好んで歌われるファンクロックの名曲に他ならない。

以降、チャカ・カーンは歌手としてソロ活動をルーファスの頃と変わらず、しかしもっともっと長く、何十年も精力的に続けてさては老いも感じさせないエネルギーに満ちたパフォーマンスで人々を盛り上げている。

Rufus & Chaka Khan - Once You Get Started via TopPop

ルーファスの代表曲はTell Me Something Good(1974)やSweet Thing(1975)やOnce You Get Started(1975)やDo You Love What You Feel(1979)やAin't Nobody(1983)などがある。

ソロの代表曲はI'm Every Woman(1978)やI Feel for Youプリンスの楽曲のカヴァー/1984)やI'll Be Good to Youブラザーズ・ジョンソンの楽曲のレイ・チャールズとのデュエットのカヴァー/1989)やThe Woman I Am(1991)やWhat's Goin' onマーヴィン・ゲイの楽曲のファンクブラザーズとの共演のカヴァー/2002)などがある。

至高にファンキーな何でもやれる歌手で、グラミー賞は四十年に及び、そしてヒット曲は『Tell Me Something Good』(Rufusと共演)から『I Feel for You』へと並ぶ。

原文

Supremely funky, versatile singer with Grammys spanning four decades, and hits ranging from "Tell Me Something Good" (with Rufus) to "I Feel for You."

チャカ・カーンは乗りに優れた華やかな歌声から「ファンクの女王」と呼ばれる。歌もさることながら全てが憑依したかのようなパフォーマンスが圧巻で、すなわち歌手としての表現力が抜群だ。掛け値のない生命感を味わわせてくれる。

1975年の第十七回グラミー賞でルーファスの楽曲のTell Me Something Goodが最優秀R&Bパフォーマンス賞ヴォーカル入りデュオまたはグループ部門、1985年の第二十七回グラミー賞でソロの楽曲のI Feel for Youが最優秀R&B女性ヴォーカルパフォーマンス賞、2003年の第四十五回のグラミー賞でソロの楽曲のWhat's Going Onが最優秀トラディショナルR&Bヴォーカルパフォーマンス賞を受賞するなど、二十二回のノミネートと十回の受賞を数える。

関連:ジェームズタウンのShe Got Soulの二十二人の正真正銘の黒人女性ソウルシンガー

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