アン・ピーブルス|ソウルシンガー 結城永人 - 2019年11月23日 (土) アン・ピーブルス/Ann Peebles。1947年4月27日生まれ。アメリカのミズーリ州セントルイスの出身。ブルース、R&B、メンフィスソウルを歌う。 アン・ピーブルスの歌手人生 Ann Peebles by Lindsey Turner / CC BY 十一人兄弟姉妹の七番目の子供で、音楽を指導する牧師の父親の教会で九歳から親類縁者で組んだ「ピーブルス合唱団」というグループでゴスペルを歌っていた。 父親がピアノやギターを演奏し、母親も歌手で、「ピーブルス合唱団」では歌わなかったけれども両親から歌の練習を含めて音楽的な影響を最も大きく受けたらしい。 地方を巡回して人気を博した。定期的にゴスペルのスターのためにショーを開いた。初めて出会ったのがソウルスターラーズで、当時はゴスペルを歌うサム・クックがいて最も気に入った。その他、マヘリア・ジャクソンのような優秀なゴスペル歌手と何人も出会って学ぶことができた。 しかし十代から世俗音楽も聴くようになってブルースのマディウォーターズ、ソウルのアレサ・フランクリン、R&Bのマーヴェレッツやメアリー・ウェルズに惹かれて自分もそうした歌手になることを夢見た。 両親とも様々な音楽を聞くことがゴスペルの勉強になるから大事だと捉えていて母親は亡くなったものの父親は歌手としての方向性が世俗音楽に変わっても非常に応援してくれたらしい。 チャンスが訪れたのが1960年代の半ばで、父親に連れられて地元のナイトクラブで歌っているとミュージシャンのオリヴァー・セインと知り合って実力を認められて人気の音楽一座――ソウルシンガーのフォンテラ・バスとかボビー・マクルーアなんて才能を輩出した――に入れて貰えたんだ。 次いで1968年にミシシッピ州メンフィスへ兄弟が恋人を車で送り返すのを着いて行った際に当地のクラブで人気のトランペッターのジーン・ミラーと面識を持ったのが大きかった。Steal Away(ジミー・ヒューズの楽曲のカヴァー)を歌って聴かせると大喜びした。そして自身が契約するハイレコードに歌手として推薦してくれた。 試しにプロデューサーのウィリー・ミッチェルも同じ曲を聴くとやはり大喜びしてアン・ピーブルスはハイレコードから翌年にWalk Awayで歌手デビューの夢を叶えることができた。 ヒット曲を続けながら1973年に発表された十枚目のシングルのI Can't Stand the Rainが良く売れると共にアン・ピーブルスにとって代名詞ともいうべき楽曲になった。翌年に世界的なロックスターのジョン・レノンが「史上最高」と大絶賛しながらトルバドールの公演中に友達と会いに来て親交も得たそうだ。さらに以前から音楽制作に協力してI Can't Stand the Rainにも尽力した音楽家のドン・ブライアントと結婚してアン・ピーブルスは歌手としても人間としても人生の絶頂期を迎えた。 1970年代の後半はディスコブームの台頭もあってか、徐々に売れなくなり、1980年代の大半は休んで家族と過ごす生活を優先した。終わり頃から復活してアルバムを出したり、マリア・マルダーなどの他の歌手と共演したりした。 アン・ピーブルスの主要楽曲 Ann Peebles - I can't stand the Rain 1974|fritz5139 Ann Peebles - Topic(YouTube)Ann Peebles | Discography(Discogs) 代表曲にPart Time Love(リトル・ジョニー・テイラーの楽曲のカヴァー/1970)やI Pity the Fool(ボビー・ブランドの楽曲のカヴァー/1971)やI'm Gonna Tear Your Playhouse Down(1973)やI Can't Stand the Rain(1973)や(You Keep Me) Hangin' On(1974)などがある。 1970年代にユニークな先頭を切った影響力のあるソウルシンガー。 原文 Influential soul singer forged a unique frontier in the 1970s. アン・ピーブルス|ALLMusic(訳出) アン・ピーブルスは研ぎ澄まされた感性の歌を聴かせてくれる歌手だと思う。気持ちが込められた表現のリアリティーがまるで手に取るように親身に伝わって来る。ソウルシンガーとしては叙情的な印象が大きくて聴きながら恍惚的な世界へ誘われる。 ジェームズタウンのShe Got Soulの二十二人の正真正銘の黒人女性ソウルシンガー コメント 新しい投稿 前の投稿
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