宇宙の真髄から宇宙人/地球外生命を理解しながら見付け出そう 結城永人 - 2017年4月19日 (水) アメリカのNASAが土星の衛星のエンケラドスに地球外生命の可能性を発表した。土星探査機のカッシーニが液体の水と代謝のエネルギー源となる炭素、水素、窒素、酸素、燐、硫黄を主に発見したせいだった。 地球外生命が存在する条件がエンケラドスでは非常に整えられていてもはや十分に生み出され得るとはっきり考えられ出したわけだ。 Ocean Worlds Slideshow by Courtesy NASA/JPL-Caltech 宇宙には水を持つ星が幾つかあるけれども海の状態が活動的ならば地球外生命の可能性が高くてエンケラドスの他にも木星の衛星のエウロパが同じらしい。 どうも気になるのは宇宙人ではないか。地球外生命が実現されるかぎり、当然、地球人と似たような存在も生まれるはずだし、さらに知能の上回る生物でさえもいるように想像されずにいないんだ。 宇宙人について調べるとフェルミのパラドックスが面白かった Enrico Fermi at the blackboard by ENERGY.GOV / Public domain 科学者のフェルミが提起したパラドックス(逆説)で、かつて宇宙人はどこにいるのか。私たちに知る兆しがないのは本当に奇妙だと疑問を発したと伝えられる。 フェルミ自身は宇宙には数多くの星が長年にわたって存続していて地球外生命は出現してさらに何年も経っているくらいだから対外的に交信する可能性が非常に高いと想定していたらしい。しかしながら実際には地球上の人間にとって一度も確認されてないゆえに実際にはパラドックスとしてしか捉えられなかった。 土星の衛星のエンケラドスに地球外生命が発見される可能性が殊更と現実味を帯びているし、フェルミのパラドックスをヒントに僕もなぜなのかと好奇心から注目してしまう。 理解されない宇宙人/地球外生命は見付からない Artist’s impression of the remote dusty galaxy A2744_YD4 by ESO/M. Kornmesser / CC BY 考えてみると人間へ向かい出す宇宙人ならば能力が優れているのは間違いない。能力が劣っていたら宇宙へはどんな生命でも自分たちの星から一歩も抜け出せないわけなので、かりに人間が宇宙船で飛び回っている現状ならば先読みされて見付からないようにすることは宇宙人にとって容易いのではないか。宇宙人は人間よりも優れた能力の分だけ逃げ隠れして存在しているためにフェルミのパラドックスは容認されずにいない。 可笑しいのはなぜ逃げ隠れして宇宙人は存在するのか。宇宙で最も優れた能力を持っているのが人間ではないかぎり、後から見付け出されるはずはないし、人間が宇宙人を先に見付け出すならばフェルミのパラドックスも要するに進化、または文明が適切に得られないような宇宙人しかいなかったという仕方で解消される。 ある意味、神に近い。人間は能力で及ばないせいだ。宇宙人は優れた能力を示すために人間に見付かってはならないけど、さもないと本質的に矛盾する存在なんだ。ただし神ではないとすると自然に因果関係は産出できないと想像される。絶対に優れた能力を人間よりも持っているわけではない、いい換えると。だから宇宙人には見付け出される可能性があるし、完全には否定できないんだ。 存在おける本質的な矛盾が突破できるかどうかに人間と宇宙人との出会いの全てはかかっている 宇宙人はきっと理解している。人間にはフェルミのパラドックスが精一杯なのではないか。思考が真っ二つに分断されている。 どうすれば人間は逃げ隠れする宇宙人と同じだけの能力、または思考を得られるだろうか。本当に実現されれば人間こそそうした宇宙人になってしまうに等しい。逃げ隠れするという気持ちも歴史的に追い越されてはもう既に空想ながらあっさり分かるはずだ。 方法上、存在における本質的な矛盾は神の想念性の中で突破され得る。世界の因果関係を包括している精神(全知全能)、自然の法則そのもの、すなわち宇宙の真髄を極めなくてはならない。なぜ万物は存在するのか、決定的に。 僕が永遠の詩人として認識するかぎり、およそ《命懸けの平和》としかいいようがない。神の想念性の中で万物は喜ばしく暮らしていた。見聞するとどれもこれも存在は本質的に矛盾してない。優れた能力の宇宙人も《命懸けの平和》を大事にする余り、現時点、人間に見付かるわけには行かないんだろう。というか、存在における本質的な矛盾を突破したという思考が分からなければかりに出会っても素通りするように把握されない。 フェルミのパラドックスを踏まえると宇宙人の外側の人間は平和よりも命懸けの重要な対象を持っているか、全く別に抗争が絶えないかのどちらかだろう。 もはや宇宙人を把握する僕も人間にとって宇宙人だとすればサイトのアクセスアップを目指すように他の宇宙人も他の人間に見付け出されることを希望しているのかも知れない、僕が人間として僕と宇宙人を自らの内面から離反的に同一視する気持ちは漫画だから可笑しいにせよ。 優れた能力を有する存在との接触としての宇宙人との出会いは日常生活の感覚とは些かも合致しないし、思考によってしか近付けないので、経験するのは本当に難しい。目の前でいつも知らない気持ちがするから口に出すのも憚られるけど、ところが思考において間違いなく知覚されるべき境地へ達している。言葉遣いの《命懸けの平和》というイメージに神から人間までの間に能力論的に定義される宇宙人は来ているわけなので、日常生活の感覚では経験されてないに過ぎない。味わいも世間並みに意味や価値ではないから人類の常識として理解されないといって良い。 突拍子のない真実ながら僕は人間から逃げ隠れする優れた能力の存在を宇宙人と呼ぶならば以前から知っていた Two Illuminateed question marks by qimono / Pixabay 自作詩で軌跡としての身体を歌った。神から人間までの間は感覚できるし、経験されるのは身体を思考に相応しく作り替えるというか、精神的に発見するかぎりでしかない。幸せな人生を永遠に保つための本質的な認識だったとはいえ、目下、軌跡としての身体によって宇宙人へも向かい得るらしい。 思考だけではなくて感覚、そして経験において納得するのも本当に難しいからどうすれば宇宙人と出会えるかを皆に教えても直ぐには実行するのは無茶苦茶かも知れない。 フェルミのパラドックスについては人それぞれの意見が聞かれるだろうけど、宇宙人がいるはずなのになぜ人間とは縁遠いのか、僕としてはそれぞれの宇宙は同じでも住む世界と持つ認識が異なると主張するだけだ。 思考のままに生きている趣きならばおよそ心魂そのものだろう、知らないかぎりは無茶苦茶の宇宙の真髄から避けられないほどに。 かつてランボーも精霊で仮想的に気付いていたし、明らかに作詩していた世界だから人間にとって強ち珍しいばかりの認識ではない。 おお 彼の息、彼のいくつもの頭、彼の疾走。形態と行動を完成する恐るべき迅速さ。おお 精神の豊穣と宇宙の広大さ! アルチュール・ランボーの精霊(宇佐美斉訳) 現今、手足の延長から物凄い宇宙船に乗っているとかなんて能力を比較的に多く示すわけではなくてむしろ精神から精神へと移動する状態として主体性が生命の概念自体を超常的に捉え直しているために分かり難いし、頷くには飛んでもない事実なんだ。 想像すると刺激的で、分けても物欲に一つも頼らないという姿勢は貧乏に果てしなく勇気を与えてくれるから素敵だと人生が痺れる。不幸でも助けてくれるのは天使だけど、ところが優れた能力の宇宙人は行き先を楽天的に取り仕切っていると推定される。 理解される宇宙人/地球外生命は見付かる Science Casts: Ocean Worlds|ScienceAtNASA 他方、人間よりも能力の劣った地球外生命が実際にいるかどうかは又別の認識だ。宇宙には自分たちの星から一歩も出られない、または宇宙船で飛んでいる生物が人間以外にいないとはかぎらない。生物の定義が液体の水と代謝のエネルギー源で同じならば全て仲間だろう。互いの星の違いから個体の多様性が増すとも人間は気付くかも知れない。 どこかの星の海で微生物が発見されるように能力が劣っていれば人間にとって地球上での動植物の新種への気持ちと似通っているはずだろう。尤も懸念されるのは能力が同じくらいだと社会そのものに激震が走り兼ねない。万一、地球外生命の性質が強かったら宇宙で見付けた人間こそ酷い目に遭わされないともかぎらないわけで、宇宙戦争の危険性もあり得るのではないか。恐ろしいと怯えさせる。 宇宙が作り出されて百三十八億年が経過して人間は生物として同類の地球外生命と出会わなかったとするとかつて地球外生命はそこまで進化、または文明を必要十分に維持できなかったせいだと感じるよね。 たとえ自分たちの星から宇宙へ飛び出したにせよ、果てしなく広大だからどんな生物も宇宙人へ辿り着く途中で止めてしまうのではないか。結局、僕のいう通りの真実にせよ、進化、または文明が生物にとって趣きとしては心魂そのものと思考のままに生きるように現世そのものが刷新されるだけだろう。永遠の詩だけれども>軌跡としての身体を確保すれば《命懸けの平和》に宇宙人がいると理解できるし、もはや追いかけなくても構わないかぎり、昔ながらの目論見では要求を持ち堪えられなくて止めるしかなくなるわけだと思う。 フェルミのパラドックスも優れた能力の宇宙人をそうした生物の極限された観点(身体のみの生命)で推し測るならば人間と交信する以前に進化、または文明が途絶えて風化してしまっていたようだ。 人間が宇宙探査で地球外生命と出会えるかどうかは非常に興味深いし、たぶん期待して辿り着いて見付け出すことは進化、または文明がもっとずっと伸びて行くための通過点として稀有な達成ながら概して不可能ではなさそうだ、地球人が異星人に分かって貰えるかどうかもはっきり問われ出すのではないか、ただし同時に手に追えないほどの悪い結果が齎らされないように願いながら見守っている。 参考サイトNASA Missions Provide New Insights into 'Ocean Worlds' in Our Solar Systemなぜ、我々は宇宙人と接触しないのか。宇宙人はいるのか 〜フェルミのパラドックス〜宇宙人はいるはずなのに遭遇できない。NASA、地球外生命体の可能性高まる発表に合わせて“水の星”ポスターを無償公開 コメント 新しい投稿 前の投稿
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