ミスターラグビー/平尾誠二の日本のスポーツの未来へのメッセージ 結城永人 - 2018年3月7日 (水) 平尾誠二は日本のラグビー界を第一線で牽引して来た。高校時代に伏見工業高校から全国大会で優勝を果たすと大学時代には同志社大学から大学選手権の三連覇を果たす。そして社会人の神戸製鉄に入ると日本選手権の七連覇を果たしたり、二十代の全盛期は優勝三昧の現役生活を送っていたに等しい。日本代表にも十九歳から選出されて新しく開催された四年に一度のラグビーワールドカップの第一回から第三回まで予選を勝ち残って本大会へ進出している。第二回ではジンバブエ戦で日本の初勝利に貢献したらしい。1998年に三十四歳で選手を引退してからは神戸製鉄や日本代表の監督として2000年まで活躍して日本選手権で優勝したり、ワールドカップの本大会へ四回目の進出を遂げたりしていた。 投稿|ラグビーワールドカップ 一昨年、胆管癌によって五十三歳の若さで、急逝したけど、来年、日本で開催される第九回のラグビーワールドカップのアジアで初めての招致にも意欲的に携わった(ラグビーワールドカップ2019組織委員会の理事・事務総長特別補佐)らしくて観るのを心待ちにしていたのではないかと非常に悔やまれる感じがしてならない。 Rugby World Cup 2019 Promo|2019 All For Japan Team 平尾誠二はラグビーだけではなくて人間性も凄いと友人の山中伸弥との関係から分かって来た。するとスポーツの捉え方がとても魅力的だったので、ブログで改めて取り上げてみたくなった。英語でSportsの本来の意味は気晴らしだけど、ちゃんと分かっていて自分自身に盛り込んでいる人だったように感じる。生涯、選手としても監督としても気晴らしというスポーツの本来の意味を少しも取り溢さず、誠心誠意、楽しくやっていたのではないか。人柄は弾ける笑顔が非常に印象的なんだけれども根っからの明るい性格だとすればラグビーに自分らしさを爆発させて生きていたと驚かされる。 端的にいって美しい存在を体現しているイメージが相当に気に入ってしまう 1995年大会、平尾誠二さんがアイルランド代表から奪った名トライをプレイバック❗🌸#RWC2019 #JPNvRSA #RWC東京 @JRFUMedia pic.twitter.com/tI5FJYS5eW— ラグビーワールドカップ™ (@rugbyworldcupjp) October 20, 2019 知ると未来が輝かしい。生きるとは何かの指南役みたいで、どんな人にも幸せな世界を想像させるのではないか。取り分けスポーツ好きの子供たちへの影響力が大きそうで、それこそ今此処が楽しいという正しい日本語を通じて真実を新しく掴むべき切欠を与えると考える。漠然とやって気付かないよりは間違いなく益しだろう。 「スポーツの原点というのは、たとえば子どものころに始めた野球――それも近所の子どもたちが集まってやっていた三角ベースのノリでしょ。自分の意思で始めて、日が暮れてボールが見えなくなるまで夢中でやって、母親が『晩御飯だよ』と呼びに来ると解散。 それが中学生になってクラブに入ると、球拾いばかりで野球をやらせてもらえず、そのうえ坊主にしろと管理される。このまったく違う世界を、僕らより前の世代は当たり前だと思っていたかもしれないけど、『おかしいぞ、何でそんなことするの?』と思うようになった。これは極めて当然なことで、こういう矛盾の重なったところが、日本のスポーツなんです。 僕は、『こんなのは、スポーツ本来の姿ではない。もっと楽しいもんや』と感じていました。スポーツの本質が崩され、『管理だ、義務だ』という方向に走ると、今度は、『連帯感だ、自己犠牲だ』とわけのわからない言い訳をする。だから、日本のスポーツはダメなんです。グラウンドでプレーするのは個人。なのに、これでは最後のところで『勝ちたい』というテンションが高まらない。日本が強くならない理由は、そこにあると思いますよ」 ラグビー平尾誠二が25年前に語った「子どもたちに伝えたいこと」|Sportiva|集英社 平尾誠二は小学校で野球部に入ったものの管理や義務に縛られていた。中学校で、偶々、目にしたラグビー部が普通にやっていたから始めたみたいなんだ。野球部だと「球拾いばかり」とか「坊主にしろ」なんて詰まらないし、スポーツになってないのが気に入らなかった。納得できずに直ぐに止めてしまうのが潔さを感じる。続けていれば何とかなりそうだと野球部に未練を全く持たなかったとすると嫌いだったとしかいいようがなくなる。ラグビー部が「夢中」に楽しくてスポーツそのものだと目覚めたのは好運だったと思う。さもなければ嫌いなのも「当たり前」と野球部を続けるか、スポーツは詰まらないと愛想を尽かして全て止めてしまったかも知れない。 日本の学校の部活動は仏教の古い伝統に見た目だけ合わせた中身のない躾に終始しているかぎり、もはや宗教としてもスポーツとしても中途半端な仕方でしか理解されないのではないかと危惧される。 しかし平尾誠二は「スポーツの本来の姿」を追い求めて楽しさに「スポーツの本質」を実現していたから凄いと感心する。 スポーツ好きな子供たちも同じように目覚ましく自由に取り組むのを夢見る GILBERT rugby ball by hirobi / Pixabay 先日の平昌オリンピックは観ていてとても気持ち良かったし、平尾誠二が不可解に受け留めた四十年以上前と比べると日本のスポーツの状況が大きく様変わりして来ているのは確実だろう。 皆がスポーツをそれ自体として楽しく行う、そして何よりも好きな子供たちが学校で簡単に取り組めるようになれば日本のオリンピックでのメダルももっと増えたり、一層と発展する未来が予測されるわけだ。 何事も本気で打ち込めるかどうかは曖昧な認識からでは期待できないのが道理だと僕は考える。 平尾誠二はラグビーでの飛び抜けた成績でミスターラグビーとも称されるけれども正真正銘の情熱を持って頑張って来てスポーツは楽しいという妥当な認識から皆に全力の出し方を教えるように自分なりのメッセージを伝えているのが素晴らしい。 どう頑張るのが最善なのか、情熱を、一番、燃やし易い取り組み方が問われているという点では賢い。スポーツの方法論として完璧だと感じるし、または努力するのは何でも同じだから人生の全てにも通じる必要不可欠な知恵を受け取る。 心に迷いが少しもない。自分で自分に期待できると想像以上の実力まで発揮できそうだ。人間の可能性が無限大に広がるのは本当だ。 参考サイト平尾誠二「スポーツの価値は目に見えない」平尾誠二 みなとスポーツフォーラム 2019年ラグビーワールドカップに向けて コメント 新しい投稿 前の投稿
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