ラドヤード・キップリングのその通り物語の日本語訳 結城永人 - 2022年9月25日 (日) 十九から二十世紀のイギリスの作家、小説家で詩人のラドヤード・キップリングの童話集のその通り物語(1902)の日本語訳を行った。子供向けの小説、児童文学だけれども分かり易くて機知に溢れた内容だから大人が読んでも面白いし、比較的に平易な言葉遣いなのは外国語の英語の特に初学者の教材に相応しい。 ラドヤード・キップリングのその通り物語の英語の出典 Rudyard Kipling by Elliott & Fry / Public domain Just So Stories by Rudyard Kipling/ラドヤード・キップリングのその通り物語 原文:Wikisource(作品集) 朗読:LibriVox(ティム・バルクレイ) 両方ともパブリックドメイン(著作権なし)だから無料で自由に使って構わない。 ラドヤード・キップリングのその通り物語tal/citeeの収録作の紹介 鯨はどのように喉を得たか海に、昔々、おぉ、諸賢よ、鯨がいて魚を食べた。人手とガーフィッシュや蟹と真子鰈やヨーロッパ角鰈とデイスや雁木鱝と自分の仲間や鯖と若い川魳や本当に真実にくねくねの鰻を食べた。海中に見付かるどんな魚でも彼はパクリと食べた――そう!駱駝はどのように瘤を得たかさぁ、この次の物語では駱駝がどうやって大きな瘤を得たかを教えよう/年頭、世界がまだ出来立てで、動物が人間のために働き始めたばかりの頃、駱駝がいて働きたくないから途方もない砂漠の真ん中に住んでいた;しかも自分自身が途方もない奴だった。つまり彼は棒や刺や檉柳や唐綿や針を食べ、何にも況して怠けていた;犀はどのように皮を得たか昔々、紅海の沿岸の無人島に太陽の光が東洋を越える素晴らしさを反映した帽子を被るパーシ人が暮らしていた。そしてパーシ人は紅海のそばで、帽子とナイフと誰にも特に触れられたことがないに違いないみたいな類の調理用焜炉だけで生活していた。豹はどのように斑点を得たか皆が定期市を始めた頃、諸賢、豹がハイヴェルトと呼ばれる場所に暮らしていた。ローヴェルトやブッシュヴェルトやサワーヴェルトではなく、専ら剥き出しの暑くて輝かしいハイヴェルト、そこには砂と砂のような色の岩と専ら砂のように黄色がかった草の茂みがあるのだと覚えておいて欲しい。象の子供古の良い時代に象は、おぉ、諸賢、長鼻を持たなかった。黒っぽく、左右にくねらせられるブーツくらいの大きさに膨らんだ鼻だけ持っていた;しかしものを摘まみ上げることはできなかった。しかし一頭の象、新しい象、堪らない好奇心で一杯の象の子供がいてそれはもうとても多くの質問を行うのだった。カンガルーおじさんの詩文カンガルーは今の私たちが目にするようではいつもなかったが、四つの短い脚を持つ異なる動物だった。灰色で、毛深く、途轍もなく誇り高かった:彼はオーストラリアの中央の露頭で踊り、そして小神ヌカへ行った/朝食前の六時にヌカへ行っていうには「私を全ての他の動物と異なるようにこの午後の五時までに変えてくれ」。アルマジロの始まりこれは、おぉ、諸賢、遥か遠い昔の又別の物語だ。その昔の真っ最中にツクンチクンの針鼠がいて殻付きの蝸牛や何かを食べながら濃密なアマゾン川の岸辺に暮らしていた。そして彼には友達がいてズシンドシンの亀だったが、緑のレタスや何かを食べながら濃密なアマゾン側の岸辺に暮らしていた。最初の手紙はどのように書かれたか 昔々の最も早く、新石器時代の人がいた。ジュート人でもアングル人でもなく、ドラヴィダ人でさえもなかったが、そうだったかも知れない、諸賢、しかし理由は気にしないでくれ。原始人であって洞窟の虚に住んで殆ど何も着ないで読み書きはできずに望みはしなくて腹が減ったとき以外は十分に幸せだった。アルファベットはどのように作られたか父さんの簎や見知らない人や絵文字等などについてちょっと失敗してから一週間後、タフィマイ・メタルマイ(依然として彼女をタフィーと呼ぼう、諸賢)は父さんと再び鯉釣りに出かけた。母さんは家に残って獣皮を新石器時代の洞窟の外の物干し竿に干すのを手伝って欲しがったが、タフィーはこっそり朝早く父さんへ去って二人で釣りをした。海で遊んだ蟹古の良い時代に、おぉ、諸賢、始まりの時が来た;つまりそれは古老の魔術師が物体を用意することになる日だった。最初に地が用意された;それから海が用意された;そうすると彼は出て来て遊べると全ての動物たちに伝えた/すると動物たちは「おぉ、古老の魔術師よ、私たちは何ごっこしようか?」といった。独りで歩いた猫良く注意して聞きな;というのもこれが振りかかって起こるようになったのは、諸賢、人に慣れた動物が野生にいるときだったためだ。犬は野生だったし、馬は野生だったし、牛は野生だったし、羊は野生だったし、豚は野生だった――野生があり得るままに――そして彼らは湿った原生林を単独に野生的に歩いた。踏み付けた蝶これは、おぉ、諸賢よ、ある物語――新しくて素晴らしい物語――他の物語とは全く異なる物語――最も賢い国王スレイマン・ビン・ダウド――ダヴィデ王の息子についての物語だ/スレイマン・ビン・ダウドについての物語は、三百五十五、ある;しかしこれはそれらの一つではない。 イギリス以外の出版で1903年の一時期のみ収録作となったもの タブーのお話テグマイ族のタブーこそテグマイ・ボプスライと彼の親愛な娘、タフィマル・メタルマイについて最も重要なもので、ボプスライ家の全てだった/良く聞いて覚えおいてくれ、おぉ、諸賢;私たちはタブーについて知るのだからね/タフィマイ・メタルマイ(さてや、依然、タフィーと呼ぶことができるね)はテグマイと狩りをしに森へと出かけた、静かにすることはなかった。 何れの作品もちょっとした疑問から奇想天外な世界が微笑ましく表現されいて知的な好奇心に満ちた想像力を掻き立てられるのが本当に良いと思う。 参考サイトThe Just So Stories 英語の小説の日本語訳 コメント 新しい投稿 前の投稿
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