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柏葉紫陽花の三角の花に縁起も良く打つ柏手

公園の池のそばに三つ咲いた柏葉紫陽花

三角の花で、紫陽花みたいなので、調べてみて柏葉紫陽花ではないかと思った。葉の形が柏の葉に似ていてそう呼ばれるようになったらしい。身の回りで柏の木を見かけた印象は非常に少ないけれども柏の葉はこどもの日の柏餅で見慣れているんだ。大きめに緩やかに分かれているようや葉先なので、見分けも直ぐに付き易かった。

ところで柏葉紫陽花と聞いて何となく縁起が良いと思ったのは柏餅とさらに神社の柏手に繋がるせいだろう。柏手が柏の木と何の関係があるのかも分からない。調べてみたら何の関係もないらしかった。むしろ柏手が拍手という言葉の見誤りで生じているといわれていて柏手の由来もはっきりしないみたいだけど、逆に却って驚かされてしまった。

神社の柏手は古来より拍手だった。とすると喜んで手を叩いている普段の拍手こそ神へ向けてやってないのが不思議に思われてしまう。元々の拍手がいつの間にか柏手に変わって神には柏手が相応しいと世に広まって改めて区別するために普段のものが拍子を取るようで言葉のイメージにぴったり合っているから拍手として定着したと考えるしかない。

だから僕が本当に驚かされたのも何で神に柏手が相応しいのかだった。縁起が良いと感じるのはなぜか。拍手が柏手になってから神に向けてやるのを縁起が良いと人々は思うようになったのかどうか。すると元々の拍手が演技が良いと思われなかった理由も不思議になって来る。

語感ならば「はくしゅ」よりも「かしわで」が縁起が良いと詩人として明らかに僕は認めるので、拍手は「ハクション」にどうしても繋がって風邪を引いているのか、すなわち縁起が悪いと確実に思われる、神へは柏手を選びたくなる。柏手だったら例えば出先で鰐に恐ろしく遭遇して九死に一生を得た記憶が「ぐしゃわで」とでも呼ばれないかぎりは滅多に吉兆の気持ちが崩れ去ることはないはずだ。世の中を見渡してみてもそれに似通った語感には殆ど触れない。または事故で大怪我した瞬間の擬音語としてならば余りに酷過ぎて人々も好んで覚えたくないだろうから忘れたいはずだし、そこまで行ってしまうと反対に柏手こそ吊り合わないゆえに助けて欲しい響きに有り難く受け留められて来るのが尤もな情けではないか。

柏手の語感は日常生活で最悪の響き(骨や内臓が潰されたに等しい音)に対抗できる最良の響き(五体満足に過ごせるに等しい音)を持っている。

こどもの日の柏餅も由来を紐解くと戦国時代の徳川家の九~十代目の将軍(家重~家治)の頃に柏の木は新芽が出るまで古葉が落ちないから子孫繁栄を思わせるとして葉っぱが当時としては端午の節句だけれども今ではこどもの日とも呼ばれる風習に取り入れられ出したようだ。

情けに基づくけど、詩的だし、やはり語感は大きそうだ。戦国時代ならば毎日が「ぐしゃわで」なのは余程と間違いないと思うし、柏手についても『源氏物語』(紫式部)に見られるくらいらしくて鎌倉時代の小説だからもう既に日本語に含まれていたかも知れない、徳川家が気付いていたかどうかは別としても「かしわで」の吉兆の響きに柏餅で肖った可能性は否定できない。さもなければ殺し合いの日々が「ぐしゃ」だから柏の「かしわ」がストレートに縁起の良さを呼び寄せたのではないか。言葉の響きがストレートだと人の心に著しく木霊するには時間がかかるから「ぐしゃぐしゃ……」と幾度も忌み嫌われるほどに「かしわかしわ……」と何回も好んで誉れ高く思い込まれた末に柏餅のイメージは出来上がったと考えるべきだろう。

しかし気持ちは、大分、すっきりした。柏手は語感に優れているから響きも頼もしくて拍手よりも神に合っているくらいだった。見誤るだけでは直すべぎだし、人々に定着する理由にはならないので、疑問も残るはずだった。

大昔は神へ拍手でしかなかったというのも響きで推理するとそれでは風邪くらいの不吉でも避けたかったためだと演繹される。響きの良し悪しが縁起の良し悪しに繋がるならば「はくしゅ」の吉兆に「ハクション」の不吉が対置されるだろう。古い古い日本人に日本語がどれだけ体系化されていたかは謎多い気持ちなので、日常生活でかりに「ハクション」に対抗して「はくしゅ」が生まれたとしても無意識だからおよそ何となしに《これは良いぞ》で拍手が神へ向けられるようになったと僕はいうしかない。

ちょっとしたことでも心配することは素晴らしいし、東日本大震災の原発事故を取り上げる因みでもないけど、国が安心して暮らせるように進歩するほどに見落とされがちになって来るので、どんな不吉でも日常茶飯事と覚えておくには越さないのではないかと思う。

確かにうんざりする。オカルトで悪霊退散の護符を掲げ続けるような生活では心の腕も疲れるばかりで全ての気も滅入らずにいない。魂は倒れ、情も朽ち衰えては身持ちこそ休みどころが遠退かれてしまうだろう。

ただし蚊に刺さされても一部の地域では大病に感染するわけなので、日本では少ないにせよ、緊急の事態に備えて細々と苦慮することは大切だった。プチっとでも危ないということだ、言葉の響きで示すならばおよそ。

健康も風邪は万病のもとと戒めながら普段から興味や関心を軽微に抱いてこその長生きで、長生きのために疎かにできない健康は決して大病に阻まれるかぎりではないと考えれば日々の疲れを残さないで風邪も引かないで常日頃と快調にやっていくことが求められて来る。

柏葉紫陽花で気付かされるのも意外だった、種々と。柏餅は美味しくて良いけど、柏手の縁起の良さは自明の理だから精神的にすっ飛ばされ易いためだろう。考えながら健康にまでも目をしっかり向けさせてくれた柏葉紫陽花には感謝しなくては行けない。

今此処は有り難くて拍手を打っている真っ最中の僕自身だ、柏葉紫陽花へ。

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