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些細な日常

頑張り次第で人生は良くなりそうな予感

どうしても目的が果たせない場合、自分らしさを変えてみることは一つの手ではないかしら。

ゲームで「押しても駄目なら引いてみな」といったことがある

十代前半、ゲームセンターで知り合った人だけれどもパソコンのデゼニランド(ハドソン)というアドベンチャーゲームで行き詰まってしまったと嘆いていた。僕も全く同じだったし、気持ちは重々と汲み取られた、方法を知っていたので、というのは自分では無理だったものの雑誌の通信販売で虎の巻を購入して実際に成功していたためだった、悲しい場面について「Pull」を教えてあげたんだ。

アドベンチャーゲームで行為の英単語を打ち込んでストーリーを進めて行くようになっていたわけだけれども彼は聞きながら俄かには飲み込めないふうに半信半疑に見えた。ドアを開けなくてはならなくて「Push」だと安直に駄目で、周りに何かの仕掛けがあるのかも知れないと気持ちがグチャグチャになって全てが手に付かなくなるような状態に追い遣られてしまうんだ。

ゲームセンターを立ち去るところで、彼も付いて来てというか、早く家に帰って試したい感じが風ならば濃厚に吹き寄せられた、別れ際に僕は念を押すように「押しても駄目なら引いてみな」と声をかけたことをとても良く覚えているんだ。

その後、彼とはパソコンのゲームを介して互いに家を行き来するまでの仲に暫くなった。暫くなのが切ない気もするけど、親交が途絶えてからは彼は僕の知り合いの一人と良く遊んでいるのを目にしていた。

家庭のゲームもパソコンよりかテレビが隆盛を極めて行く時代の移り変わりのせいもあったかも知れない。当のデゼニランドの生みの親だったハドソンもファミコンに参入してボンバーマンなんか名作の一つだったと思うし、世の中へも高橋名人を送り出しながらゲームの《連射》という概念で話題を浚ったことも記憶には凄く残されている。

自分らしさを得たとても上手く行くとはかぎらないのが人生なんだ

ところでセクシーな人は桃太郎電鉄が好きだったらしい。ハドソンのゲームにせよ、僕はやったことはなかったので、何も知らなかったんだ。嫌いな人の名前を付けたキャラクターを貶めるというか、ゲームの世界で失敗させることが楽しいみたいな話を聞かされてたまげた思いに忽ち駆られた。人それぞれの遊び方があるものだといわざるを得ない。只、奇怪だったのは嫌いな人を家に帰ってまで思い出すような真似をしてしまうのはなぜだろう。憎くて憎くて夜も眠れないほどの悲しみだから少しでも消し去るために編み出された手法だと察せられる。

セクシーな人は贈る言葉は考えないでいったように職場の別れ際に涙が止まらなくなったし、とても良くして貰えたのも桃太郎電鉄を裏側から当たれば人を愛する気持ちも格別なまでに強かったはずだ。数少ないけれども手紙も受け取ったから金庫に大切に保管してある。読み返すと交流が色濃く示されていて床しいほどに律儀な性格だったと感じる。

僕も同じだから惹かれて人と人とは似た者同士で結び付くとすると自分らしさも交流によって明らかに掴まれるわけだろう。

しかし人生が良くならない。頑張ってもどうしようもない。自分らしさを保ちたくて死にかけているのならば生き直すためには視野を広げるべきだと思う。

気付かないところに自分らしさを新しく見出だすように求めて行く

ゲームセンターの彼は「押しても駄目なら引いてみな」でデゼニランドをクリアしたので、一つの実例として挙げておきたくなる。駄目なままでやり続けるよりは正反対の向きで物事を捉えながら挑めば成功するかも知れない。

学校や何かの試験だと比較的にできたはずだけれどもそれが日常生活だと一本調子になり易いんだ。自分らしさが出てしまって他の見方が必要なところで躓かれるというか。

結構、味噌だ。柔軟性は決して洗濯物だけに求められるわけではないみたいな感じで、さもなければ頭にも必要な場合に気付かれ難くなってしまう。頭に柔軟性というと今度は強固性が見えなくなるから豆腐でどうやって釘を打つのかと悩まされもするし、自分らしさについては決め込むものではないがゆえの危なっかしさこそ注意しておきたい。

身の程を弁えながら暮らすけれども人間的な幅が大きいほどに生き残り易くなるのではないか。

無人島に送られて火を興すことが目的だとすれば実現するために真っ先に欠かせないのは状況を知ることで、普段通りにライターを探し回っても見付かる可能性は低い。

またはセクシーな人からたまげた思いを学ぶべきだ。ゲームはゲームでも人それぞれの遊び方があるならば何かを達成する道は一つではない。目的も変えて良いし、自分らしさに相応しい世界は他にあるのかも知れないので、通り過ぎないように好運こそ取り逃さないように用心しながら生き抜くということだ。

注意すると信念は曲げない。僕ならば天職の作家・詩人を如何に続けられるかの生活上の目的は幾つもあって良いと思うよ。

元々は部屋で一人でやって本を出版したかった。それからインターネットでやってサイト広告でプロデビューを果たした。しかし本当に厳しくて種々と考えなくてはならなくなってしまっている。

遺言書ではないにせよ、自殺する代わりの落ち込みから這い上がるためには目的を一つに絞っては本当にここまで来てないので、当初の予定通りではないわけだから自分らしさを見詰め直しながらさらに加速させたいという気持ちがする。

目的はサイト広告にかぎらず、本を出版しても良いし、誰かの作品へのオファーを騙されなければ受けても良いし、そんなふうにありとあらゆる手を尽くすようにしてしか信念も貫かれ得ないのではないかしら。

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