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些細な日常

人との別れに贈る言葉は考えずに手短に纏めるのが一番だ

職場の人が仕事を辞めて行く日に挨拶回りに来ることがある。僕は普段から人と余り喋らないので、大抵は贈る言葉も世間並みに済ませるしかないと思う。

ところが異例というか、相手が二十代くらいの若者だと贈る言葉の重みが変わって来るから自分の気持ちこそちゃんと出してみたくなる。

贈る言葉にかぎらないし、さらには言葉ともかぎらなくて生き方そのものが人生勉強になるはずなので、喋らなくて触れ合いも殆どない上では雰囲気で分かって貰えるように努めている。つまり出会って良かったと思われるかどうか。匂いだけでも心の鼻に届いてくれると嬉しい。永遠の詩人は善のために歌っているよ。

二十代くらいの若者だとどう生きるかと模索しているに違いない。だから世界への見聞欲が高いのではないか。周りから受ける影響力が強いほどに僕も気合いが自然と入って来るわけだ、同じ空気を吸っていられれば特に。縁は活かされてこそ人生に役立てられる。素通りでは経験が何もなかったに等しい。

人への贈る言葉を自分の気持ちで表現するとなると僕が見付けた良さを知って貰いたい。

昔のホームページで皆の投稿詩に感想を付けていたのと同じで、やろうとすれば幾らでもできるとは思うけど、ただし口頭でずるずる引き伸ばすわけには行かないし、相手は他にも挨拶回りが控えている。加えていつになく口数を増やすのもあれなので、手短に纏めるのが一番だと感じている。

綺麗なお姉さんに「お疲れ様でした」といった

皆のために尽力してくれたから影の苦労が絶えなかったのではないかとそこだけは押さえておかなくてはと思った。もしも誰も気に留めてなかったとしたら職場での一部始終が無駄骨に終わるかも知れなかった。恐ろしい。思い遣りが人生に必要ないなんて少しでも感じられてしまってはもはや不幸せは避けられなさそうだ。破滅の道を行くのか。地獄への下り坂を前にして影の苦労こそ労わずにはいられなかった、断じて。悪魔払いに近い。

僕は何もいわれなかったけれども隣のおばさんが「そうだよね、いつも遅くまでやってたみたいだもんね」というと「いいえ、大丈夫です」と綺麗なお姉さんは微笑んでいた。

咄嗟に感じた、どういうことだろうと。永遠の詩人の気持ちを受け取ったとすれば大変だったのは人生そのものだったから残業の多さだけでは余りにも語り尽くせなかったはずだ。さらに隣のおばさんの「いつも遅くまで」は家に帰ってもまだ働いていたような響きがあるので、そんなには正しくやってなかったのかも知れない。普通に考えれば謙虚で人への配慮を怠らない気風が出ているに過ぎないし、百歩譲ってかりに気障ったらしく見えるとしても僕と隣のおばさんだからこその心ごと魅せられ得た風興しだったに違いないと推理されるわけで、こちらこそ好かれる理由を見付け出すことが極めて難しい素晴らしい貴方の不敵さよ、守らせて欲しいばかりで《一緒にいたい人》だったと有り難くも振り返っては別れの涙を堪えるのが厳しいほどの喜び、最後ながら詩的に例えればルビーを残してくれていた。

全員にはいわないし、二十代くらいの若者ならば贈る言葉を確実に生み出すわけでもなかった。しかしいわなくても分かって欲しいと思いながら雰囲気でやってしまう。自分の気持ちをちゃんと出すことに変わりはない。伝えるべきは縁こそだろう。

贈る言葉としては手短に纏めるために考えない。感じたままでしかもエッセンスが取り零せなくて相手の心にピタッと嵌まるような味わいが欲しくなる。表現的には世間並みと同じでも影響力は変わって来るのではないか。

優れて可愛い人に「頑張って下さい」といった

今まで十分に頑張って貰えたので、頼み過ぎると迷った。もう暫くは休んでいて欲しい。しかしながらこれもやはり誰かが押さえておかないと不味いと感じたんだ。頑張って働いたにも拘わらず、見向きもされない職場の皆だったとなると僕は困る。後々の人間味が懸念されてしまう。擦れっ枯らしの何とやらが嘘寒くて耐えられなかった。間違いなく見ていたと心は決して一人ぼっちなんかではなくて職場の皆も粒揃いの面々で貴方と同じように喜ばしく働いていたと覚えておいてくれないか。天使の約束とも伝えるにかぎった。

転職が決まっていたらしくて予定ではまた頑張って下さいというつもりが僕も周章てながらまたが抜けた。嫌味とも受け取られ兼ねない字面ながら行く先へと思いを切り離してないところは胸にグサッと突き刺さるかも知れない。ずっと見ていた気持ちが味われるとしたら最高の人生だ。頑張って下さいと書いてずっと見ていたと読む。心では反対なんだ。読んで思うのではない。思って読むから気持ちは空へ青く高く通じて書くのも飛行機雲になる。贈る言葉なのに素敵な歌が聞こえる。優れて可愛い人が照れ臭そうに挨拶回りをしていたからこんなことにもならざるを得ないんだろう。むしろ良かった。当初のイメージを大幅に越えて完璧だった。

皆が散開する間際はしんみりとしていた。ある人が「お世話になりました。本当に本当にお世話になりました」とそばに付いて寄り添いながら声をかけたんだ。優れて可愛い人は感極まって溢れ出した涙にハンカチを取り出すや顔を覆い隠していた。

僕は思い出した、かつての涙が止まらなかった職場での別れを。セクシーな人がいた。どういうわけか、セクシーな人に涙が溢れ出して拭えども拭えども果てなく溢れ出して止まらなかった。やり残したことがあったのか。それが涙に代えて速やかに表現されたように振り返られる。

他の皆も良くしてくれた。どんふうに働きたかったのか。前以て意気に臨んだものの現場では発見される事実が物凄く多かった。一つずつ取り上げて仕事に新しく臨み続けて行くこと、しっかりできたかどうかは言葉にも詰まるところだろう。ならばきっとやり直すしかない。

別れに際しては泣き濡れてこそのプライドではなかったか。只一人の人間として働くという志を捨て去らなかったことは本望だろう。向上心のために欠かせない涙だったと認められる。

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