ロドリーゴのピアノのアランフェス協奏曲に信じられないほどの感動を覚えては興奮にも包まれながら 結城永人 - 2016年9月8日 (木) 素晴らしくも気に入りのアランフェス協奏曲の作曲した本人のロドリーゴの演奏が聴けるという動画をYouTubeの公式チャンネルで見付けて飛び上がるくらい嬉しかったけれどもどんな演奏なのかと最も知りたかったのはテンポだった。 Joaquín Rodrigo. Concierto de Aranjuez|Joaquín Rodrigo ED. かねて想像したよりも少しだけ速かったようだ。薄い薄い紙一枚分くらい気持ちが置いて行かれるような風合いの漂うロドリーゴのピアノだったという。 そして深く味わいながら考えてみるとピアノの楽器の響きに頼らずに楽譜の音符を正確に捉えている、または丹念に世界を紡ぎ出すような指捌きが個性的で、著しく伝わった気持ちの良さがやはり素晴らしいと納得させられてしまったんだ。 テンポが少しだけ速くて感じるとはいえ、厳密にはピアノの響きが弱いから音場が耳に余り残らないために曲が先に進んで思われるだけなので、正しく作曲通りに演奏されたアランフェス協奏曲の第二楽章ではないか。 ロドリーゴのピアノの演奏は端正そのものだから素敵な貴方を思わせる Hoy se cumple el XXI Aniversario del fallecimiento de Joaquín Rodrigo, el 6 de julio de 1999|Joaquín Rodrigo 第二楽章にかぎらず、アランフェス協奏曲の全体が極めて美しい音楽だけれどもロドリーゴの自作自演が端正そのものだし、そうした人柄が出ているとすれば本当に素敵な貴方としか呼びようがなくて出会えて心から幸せだといみじくも絶賛せざるを得ない。 全ては神様の思し召しで世界平和に匹敵する生活こそ手に入ったわけならば感謝感激雨霰の境地とも過言ではなくて本当に信じられないほどの感動と興奮に包まれながら命懸けで祈りを捧げるだけだ。 ロドリーゴの自作自演を知ってしまうと思いが天空へ旅立って行くようだ。 自然のままに夢見心地だし、音楽という一つの芸術/創作活動の喜びに打ちのめされるばかりだから入り浸ってとにかくも立ち上がるよりはゆっくり有り難く休ませて貰うしかない。 コメント 新しい投稿 前の投稿
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