ブログの人気を増すためには率先してブロガーの存在感こそ強く示すしかない 結城永人 - 2018年1月9日 (火) ブログのアクセスが伸びなくて本当に困る。開設して一年を過ぎたにも拘わらず、朝から三十人を下回っている。夜まで二百人は本当に無理だろう。遅いとしかいいようがないままだ、ブログの成長は相変わらず。 どうして人気がないのか。訪問者は一日百五十人を越えているから閑古鳥が鳴いているだけだった最初の頃よりは確かに知名度そのものは上がっている。しかしまだまだ厳しい状況を強いられている。一日二百人が昨年の八月から気に留まって、半年、到達できないというか、安定して越えられないから気持ちは本当に辛い。何とか人気を増して行きたい。 何にせよ、皆が満遍なく気に入る、万人向けの仕上がりが記事に求められると思う。 ならばブロガーとして個性を出すのも大事だけれども理解されないと人気は付いて来ないのではないだろうか。 分かり易く表現するとやって来て新しく気付くのは記事だけではなくて僕自身も同じくらい理解されるべきだ The back of a woman who faced the sea by melancholiaphotography / Pixabay 個性を出すのとはちょっと違う。どんなテーマを扱っても作り手は僕以外の何者でもないと認められるかどうかが問われている。創作活動としては作風が大事なんだ。 従来、大して自覚せずにいた。好きな気持ちでやれば人々からは自然に受け取られるはずだし、作風はそれこそ一つの空気として味わわれるので、率先して表現しない作家でも別に構わないと考えた。 ところが人気が及ばない。訪問者があの人は何なのかと一瞬でも遠ざけてしまうのが不味いのではないか。インターネットはやはり実生活よりも情報量が少ないといわざるを得ない。たとえ出会ってもブログでは身振りまでは分からないとか無意識で伝わらない部分が大きそうだ。見ず知らずの相手だし、作者への避けられない疑わしさを晴らさないと近寄り難いままで終わり兼ねない。または嫌われ易いと懸念される。 些細な日常に僕がいるみたいに存在感を明らかに与えるほどの自己表現が重要に違いないだろうと改めて感じている 方法は簡単だ。文章ならば言葉遣いを自分らしく持って行く。すると作詩と全く同じだったり、好きな気持ちを噛み締めながらやるというか、書きたい世界だけを書けば良いわけだ。自覚しないと言葉遣いの強度が下がるので、詩以外では当たり前に見かけない文章かも知れない。 僕にとっては人生の本道が詩人/Forevermoreだからブロガーとはいえ、記事の作成で全ての言葉遣いの強度を上げるのは造作ないばかりだ。 ひょっとしたら人気のブロガーならば誰もがやってないとはかぎらない。アクセスアップで訪問者を引き付けるために文章に熱量が欠かせないとも聞くけど、意気込みは変わらない。つまり書きたい世界だけを書くという作者の言葉遣いの強度が高いほどに読者は熱く感じるはずだ。延いては凄いとも認めてくれるのではないか。 もう一度、考え直す必要がある、自己表現を。人々を一人残らず、掻き集めたくても薄く広くのブログ記事の印象では作り手のブロガーの存在感が弱いのは否めない。むしろ存在感を強く示しながら分かり易さをとことん追及するような自己表現を行うのが人気を博すには賢明だろう。 誰がやっているのか。僕だ。些細な日常で直ぐに見聞される言葉遣いを実現したい。作家としても爽快だし、書きたい世界だけを書いてこそ自由だからブログを更新する幸せも大きい。やり甲斐に人生が弾む。 コメント 新しい投稿 前の投稿
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