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自分らしい生き方だから一日十万人以上のブログのアクセスを目指して諦めない

ブログの平均ページの滞在時間人気の投稿の表示を増やしたのと記事名の下に著者名を付けたのとで、一分前後まで上がって来ている。以前よりも三十秒くらい良いから考え通りに進んでいてブロガーとして本当に嬉しい。

難しいのは訪問者がブログ内のページを、二つ以上、開かないと計測されず、零になるのが平均ページの滞在時間なので、動き回り易いデザインが何よりも求められる。

人気サイトはメインのコンテンツの回りにパンくずリストなどの小さな内部リンクが、一杯、付いているし、確かに有利だと本当に良く分かるよね、検索エンジンからのアクセスアップに。

しかし実際に使われるのはブログならば記事の中に貼られた関連記事へのリンクが殆どだろう。一段落を取って大きく目立たせるデザインも見かけるし、文脈に合わせて上手くやっていると押さずにはいられないような感じがする。するとアクセスは一日一万人を越えてそうだと想像しながらもはや羨ましいかぎりだったりもしてしまう。

僕は手がけない、常套的に。記事の一つ一つを丹念に仕上げてこそ一日十万人を越えるのではないかとWikipediaのデザインを最も参考にする。テーマによるけど、飛んでもない仕上がり、過度なまでの情報量で圧倒される内容も昨今では珍しくなくなっている。見習って訪問者に物凄くしっかりやっているブログ、そしてブロガーだと思わせるほどの創作活動を何よりも重視するべきだと感じている。

些細な日常で信頼性を勝ち取るのは大変な時間がかかるとしても命懸けで頑張ればきっと実現できるはずだ

海の彼方の夕陽に向かって一人の男性が両腕を左右に広げて立っている

アクセスの最終目標は常識的にあり得なくても一日十万人を目指すからデザインもなるべく質実剛健というか、相反する場合、例えば平均ページの滞在時間のために訪問者が動き回り易くするかどうかには率先して拘泥らないようにしたい。

訪問者を引き付けるために個性存在感が大事だと考えて来た。ブログのスタイルについても華やかに賑やかに気持ちを盛り上げるよりも文章を極めるみたいな印象を与える向きが自分には合っているんだ。僕が作家・詩人を天職としてやりたいし、できるのは他にはないのではないかと気付いた。結局、皆に本当に知って欲しいのは日本語の新たな可能性とか思考のかつてなかった到達点なんて喜びそのものだろう。未知へ向けて文章に取り組まなくては個人的に不自由な人生でしかないとすると改めて恐ろしさにも震える。

何て地雷だろう。思い返すと自分が自分では全くなかった。むろん戯れの言葉遣いだし、口にしながら笑わせる詩でしかない。少しずつ成長しているわけで、昔から今まで同じ方が余程と珍しい。ただ呼吸するだけでも人間は細胞が生まれ変わる。前進あるのみの自然の摂理に吹き飛ばされるのは終わりだ。二度と着るな、悲運を。

ブログに取り留めのない文章で記事を増やしてもキーワードには余り役立たないかも知れない。検索エンジンからのアクセスアップの中心を外すならばサイト広告でプロデビュー金儲けには愚の骨頂だ。無駄骨のオンパレードと腹を抱えて笑うのは確かに吝かではないにせよ、対して漫画家になるしかなさそうだから覚束ない自分らしさに参る。

しかし面白いというか、未知へ向けては避けられない。書かないと作家の実力は身に付かないし、キーワードばかりを中心に狙うつもりにもなれない。個人的にはやはり文章こそ大事にしたい。生まれながらの作家・詩人のブロガーとしてたとえ人気が及び付かなくても情報第一主義の言葉遣いを繰り出し捲るのには抵抗を覚える。

地球上、人工知能が進化すれば人間は何も認識しなくなるのか。ならば現時点で人間が他の全ての存在に抱いている感情は悉くコンピューターに持って行かれろ。残るのが欲望ならばドゥルーズ哲学が正しいに過ぎない。出会いと別れが万物の生活を支えている。社会は単純明快だし、要するに思考不能のアルトーを根底的に追従しているから毎日が気楽なのは確かだろう。

だが、どうか、実情において。アルトーは精神を病んで晩年には統合失調症を患っていたはずだし、ドゥルーズにしても最期は入院中の病室の窓から飛び降りて自殺した。何れにせよ、健康と長生きには必ずしも結び付かないと認識したい。

精一杯と過ごせば完全なのが人間ではない。未来をコンピューターへ託すべきかどうかが問われ出している。個人的に少なくとも立ち向かうのが僕だろう。何も認識せずに知識という知識をコンピューターに任せながら存在するのは無理だ。

作家・詩人の天職、神からの任務として文章を追求しなくては満足感を得られず、自由に生きられる存在ではないというしかない。

ブログの検索エンジンからのアクセスアップにも多少は期待したい。情報第一主義の記事だけが高品質なコンテンツとサイト評価を上げるのか。人々の求めによって変わるはずならばおよそ平均ページの滞在時間の延長などから好かれていると分かって貰うのが重要だ。

希望として二分に近付けたい。人気サイトに肩を並べる。僕にとっては文章を極めるみたいな印象を与えるスタイルを一つの魅力として定着させるべきだし、心底と他では味わわれないブログ、些細な日常でなければ誰も来なくて構わないくらいの決意を固めて頑張るのが自分らしい生き方そのものだ。

集中力を切らさず、記事を濃密に作成する。訪問者が過ごす時間を大切にできるような趣向を凝らすのが最良ではないか。一度でもやって来たらしっかり掴んで放さない。テーマに即した内容を受け取るだけでは物足りない喜びかも知れない。直ぐに忘れ去られるとすれば見て聞いて快適だったかどうかで気持ちは変わる。

スタイルで輪をかけた自己表現から理解して貰おう。内容が気に入って雰囲気も同じならば二重の喜びを受け取るブログになるんだ。一日百五十人の現状に甘んじてさては厳しくも手を拱いている場合ではないだろう。死ぬ気でやれとは生きる屍へのエール、ショパンの雨だれにも等しい。励むだけが幸いなのに挫折するのが自然では努力しても報われる道理はない。

悲しければ笑い、苦しければ踊る。さもなければ叶わない夢を抱えているかぎり、信じなければ不味い、奇跡は起きると。誰彼ともなく素通りする不遇時代にせよ、自分までが一緒になって志を諦めては本当に終わりだ。ならばいっそ尊んで踏み出してこそ脚も長くて格好良さそうではないだろうか、正真正銘にも人間として。

念じて心から望ましい生活が訪れるまでは詩だけでも十分に有り難いから負けて悔しがる地獄の道連れに従うよりは飛び立てば良い。

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