閑古鳥が鳴いているの閑古鳥は郭公から 結城永人 - 2017年1月5日 (木) ブログを開設して二週間で誰も来ないに等しくて閑古鳥が鳴いていると思う、サイトとしては。しかし帰る場所は他には一つも見当たらない。続けたいかぎり、いつかはアクセスが伸びるブログと信じて閑古鳥と共に頑張るしかないのではないか。 閑古鳥とは何かと調べると郭公(かっこう)だった Kägu õunapuul by Locaguapa / CC BY-SA いっていて自分で知らないのもあれだけど、とにかく故事成語に「閑古鳥が鳴く」とあって誰も来ないに等しいブログにぴったりの情感を受け取ってしまう。 古語に呼子鳥・喚子鳥(よぶこどり)という季語がある。これは人を呼ぶような泣き声のする鳥という意味で主にカッコウなどを指す。カッコウの鳴き声が当時の人に物寂しいと感じさせたことから、喚子鳥が転じ、閑古鳥という言葉が生まれた。 閑古鳥が鳴く|日本語俗語辞書 日本では五月頃に飛来する夏の渡り鳥らしくて主に山地に生息するから街中では鳴き声は聞かれないかも知れない。 森林浴で郭公が鳴いてくれたらとても気持ち良いと逆に想像されるけれども音楽家で好きな人は作品に取り入れたりする。僕の敬愛するべきロドリーゴも郭公の声に惚れ込んでいて自作の随所に散りばめたといわれる。 文字通り、かっこう鳥の歌という楽曲もあって聴いてみると歌曲で郭公の声から着想を美しく得ているようで、素晴らしく綺麗な音楽に仕上がっている。 ブログに人気がなくて物寂しいばかりの閑古鳥だけれども郭公と捉えればまさか同じではないどころか、正反対の気持ちへ誘われさえもするからそうした爽やかさによって耐え凌ぐべきだろう。 見詰め直したい、自分一人の存在を。大勢に囲まれていてはむしろ忙殺され兼ねない世界の喜びに触れさせてくれる閑古鳥こそ本当に良いのではないか。物寂しくも命の尊さを認めながら胸裏から見るものの全てが同じように感じられるならば有り難い、極めて。 独りでも幸せに他ならないという境地を味わわされて止まない。 コメント 新しい投稿 前の投稿
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