初夢が悪夢だから逆夢として好運を得る 結城永人 - 2018年1月1日 (月) 正月の朝にどんな夢を見て起きるかは気になる。何も見ない年が多いけれども何年かに一度は経験する。初夢は正月の三が日が一般的で、一月の一日と二日と三日に見られる。縁起が良いのは一富士二鷹三茄子といわれるけれども個人的に一度もない。正月の朝にかぎらず、富士山も鷹も茄子も普段から夢に出て来た例はないし、見るには縁遠いといわざるを得ない。一生に一度でも経験すれば好運ではないだろうか。 今年は悪夢で目覚めた In a dark and creepy house by Herm / Pixabay 一月一日の最初の朝から縁起が悪そうだ。悪夢は全て不吉とはかぎらないので、逆夢として捉えたい。新年を明るく迎えるためには目覚めが縁起の良い正夢でなくても構わないだろう。見るのは厳しいながら縁起の悪い逆夢は同じくらい人生に期待させてくれる。日々、注意を呼びかけたり、厄払いの効果もあってどんな不吉も非現実的に引き取って消し去ってしまうのが悪夢だと考えると却って凄い気持ちがする。 幸せが舞い込む状況が綺麗に整えられるならば好運を得るわけなので、一年の新たな始まりに見たくない悪夢、悲しみに包まれる初夢にせよ、どうしてどうして逆夢のかぎりは嬉しくて有り難いと親身に感謝する。 本当に酷くて右手の薬指が切り落とされる夢を見た 人間は年を取ると悪夢を見易いらしいし、何日か前から電気毛布で低温火傷を繰り返したせいか、右手の薬指が腫れて曲げ難くて気に病んでいた。実生活の二つの要因からたぶん生まれて初めて不愉快な初夢を経験せざるを得なかったようだ。記憶にない新年の目覚めだし、飛んだ忌まわしさを被った一月一日の夜明けだ。 悪夢なのに逆夢で好運を得るとすると何に恵まれるのか 老いと過ちを改めて退ける生き方が重要だけれどもさらに切り落とされた右手の薬指に特別な意味が込められていると考える。神の暗示として反対に良いかも知れないわけなので、しかも初夢だからひょっとすると今年一年を象徴している。 詩的にいうと結婚指輪の左手の薬指の反対側だから大切な友達との絆ではないか。 そして大切な友達との絆ならば僕にとってはブログの訪問者との友好関係に他ならないだろう。 ブログの訪問者との友好関係に恵まれる可能性が縁起の悪い逆夢から出て来るとすると本当に素晴らしいと感じる 宿願のアクセスアップを暗示しているし、初夢だから今年一年のブロガーとしての躍進が神から約束されたように期待して良いわけだ。 大晦日に思い描いた抱負の自由な作家活動でやって行くつもりだけど、神秘的にも好運が巡って来てくれれば他でもなく、上手く行く人生のチャンスは一層と広がって未来も青空並みに気持ち良く輝くのではないか。 何もしなくて大丈夫ではない 占いとしては当たるのも外れるのも自分次第の努力が問われている結果だ。安心し過ぎて怠るのだけは常日頃と用心深く避けながら頑張りたい。 夢は叶うと何回目かももう分からないくらいいい続けて駄目だし、今年もやはり地獄だと察せずにはいられないにせよ、だからこそ希望する意気込みが必要なので、どんな不幸も跳ね返すように前向きそのものの境地から死に物狂いで取り組むのが求めるべき唯一の突破口だろう。 コメント 新しい投稿 前の投稿
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