乞食娘のアリス・リデルの湿板写真から逆算するルイス・キャロルの不思議の国のアリスへの本当の願い

ルイス・キャロル不思議の国のアリス(小説)にはモデルが実在していたらしい。主人公のアリスと名前が同じのアリス・リデルという。他にも兄弟姉妹が、九人、いて作者のルイス・キャロルは数学講師で在籍していたイギリスのオックスフォード大学のクライストチャーチを出会いの場として当時の学寮長だったヘンリー・リデルの一家と交流していたんだ。休日には子供たちとも良く遊んでいたらしくて不思議の国のアリスの成立には取り分けロリーナとアリスとイーディスの三姉妹(リデル家の長女と次女と三女)が大きく関わっていたといわれる。


リデル家のイーディスとロリーナとアリスの三姉妹

しかし中心的な位置を占めていた子供が小説の主人公と同名のアリス・リデルだったようで、元々は地下の国のアリスとして個人的に「クリスマスプレゼント」と贈っていた作品が知人の出版への勧め――ある日、作家のジョージ・マクドナルドの夫妻と居合わせた息子のグレヴィルの目に喜ばしく留まったせいで――から加筆修正を施されて小説として完成したのが不思議のアリスだった。


経緯がとても面白い。世界中に広まって数え切れない人々に読み継がれていている作品が元々はたった一人のために作り出されていたという。人生で成功を爆発的に収めたければモチーフもやはり皆を考えては駄目なのではないか。それこそ個性が他でもなく引き付けるようにたった一人のための思いを掴んでおくと良いとはっきり分かってしまうような実例を与えている。


自己表現でモチーフまで作者の個性に合わせると作品の人気は皆の好き嫌いに左右されるはずだし、尊ばれるかどうかは運任せになりそうだから、丸っきり、失敗を余儀なくされる危険性もあるかも知れないし、するとルイス・キャロルの不思議の国のアリスが不朽の名作と人々に十九世紀の後半から歴史的なまでに知れ渡った現実は一か八かの賭けに他ならなかったとも過言ではない。


本人は最初から期待してなかったわけで、小説が売れなくても数学者としてオックスフォード大学から生活費を得ていたし、平々凡々、どうでも構わなかったみたいだ。なので小説家としては無邪気な成功を偶さか上手く収めた格好ではなかったか。無難といえば無難なばかりの人生設計を受け取るけれども気になるのはひょっとして全てが反対だったら本当に凄いと思う。


というのも正しくルイス・キャロルにとって小説家が本業で、数学者が副業だったとしたら物凄い努力家で、尊敬せざるを得ないほどの大人物に変貌を遂げてしまうせいなんだ。


本心では小説家を目指していたけれけれども人気があっさり付いて来ないし、少なくとも直ぐには売れない日々と死ぬしかないから先ずはオックスフォード大学で比較的に安定して生計を立てられる数学者を渋々ながらやっていたと考えて良いかどうか。


調べてみると驚くべき形跡は特に見当たらない。ルイス・キャロルは作家活動を早くからやっていたし、小説だけではなくて詩を含めて文学を志すつもりはあったとしても数学者こそ人生の大通りで、作家と呼ばれるのは不思議の国のアリスのブレイクに由来しているだけの結果でしかなかったのではないか。元々が何も狙ってなければ本当に正しく予想外の展開だし、人生の脇道と捉える他はなかったように感じる。


珍しいのは確かだけれども宝くじで当たって巨万を富を築くのも無理ではないという確率の世界からは少なくとも十分にあり得る。


オスカー・ギュスターヴ・レイランダーのルイス・キャロルの肖像

ルイス・キャロルは冒険しない人柄だったと考えたくなる。数学者の片手間で小説を出しながら最終的に転職しても良いくらい作家としての人気を博したにせよ、クライストチャーチでの数学講師を辞めなかったり、気持ちは飽くまでも趣味の域に収まっている小説家だった。すると却ってビックリさせられるのがブレイクの最初の切欠と目される不思議の国のアリスの内容で、一つの特異なまでの冒険性を持つといわざるを得ない。本来的に冒険しない人柄なのに冒険性に著しく満ち溢れた自己表現で人々に幅広く受け入れられた。


考えると小説はフィクション(虚構)だから如何にも空想的な仕上がりが素晴らしいと喜ばれると共に文芸として本格的に味わわれたせいではないだろうか。


余談ながら僕が小説家で最も敬愛しているフランツ・カフカも同じように普段は只の勤め人で、終生、労働者傷害保険協会という市役所の職員に近いような職場で安定志向の暮らしを営んでいた。


フランツ・カフカもルイス・キャロルも偉大な小説家で、現代思想のジル・ドゥルーズも積極的に言及していて挙げると前者へはマイナー文学のためにを、後者へは意味の論理学を執筆していたり、それぞれ特別に取り上げて考察するほどに引き入れられていた。


ルイス・キャロルは哲学でも非常に重要な存在だったかも知れないけど、とにかく小説家とすると《実生活と作風の興奮度の落差》が彼自身の内側で存分に噛み合っていた世界が改めて個性そのものだったと気付かされる。


日常の安定性を真っ逆さまに揺るがして行く自己表現が不思議の国のアリスを始めとした小説に他のどんな小説家からも得られない独自の魅力を封じ込めていたに違いない。


小説とは何かをルイス・キャロルにとって想像するとたぶん気晴らしだった。本業は数学者の人生の趣味とすればすなわち遊びの気持ちがとても大きかったのではないか。実際に代表作の不思議の国のアリスが知り合いの子供のアリス・リデルのために作成されていたと知ったから間違いないと感じてしまうんだ。


逆算すると不思議の国のアリスのイメージは数学者の理知的な知覚で平板に著されているように見えていたものの気持ちはさながら巣穴(フランツ・カフカ)のリアリティーを持っていて――または知られていて先に影響を与えた可能性もないわけではないだろう――自己表現は空想的な仕方でも文学上は穴の空いた論理と察するほどの根本的な遊び心から自由が精確に求められていた真実に胸打たれ出しもする。


僕がルイス・キャロルの小説を見直したヒントを得たのはところで乞食娘のアリス・リデルの写真からだった


乞食娘のアリス・リデル

撮影したのも不思議の国のアリスの作者のルイス・キャロル本人で、十九世紀の中頃から一般向けに出回り始めたばかりの湿板写真にどうも凝っていたらしい。カメラでアリス・リデルの肖像などの様々な写真を数多く撮影していたんだ。だからルイス・キャロルは数学者で小説家だったけれどもとさらに写真家の側面も持ち合わせていたわけだった。


十九世紀の序盤からタゲレオタイプ/銀板写真でカメラが初めて実用化されて人々に一般的に使われるようになって来た。しかし感光するのに十分以上もかかってしまうから撮影するのは一苦労だった。次いで登場したのが湿板写真のカメラで長くても数十秒程で感光できるように画期的に生まれ変わった。写真が、大分、撮り易くなってルイス・キャロルは嵌まっていたといって良いくらい湿板写真のカメラばかり使っていた。


写真家の装備は相当に大掛かりだったらしい。湿板写真ではヨードコロジオンを塗った硝子板を乾かして硝酸銀の水溶液に浸してカメラの感光板に用いていた。いつも暗室用のテントやヨートコロジオンを塗った硝子板や硝酸銀の水溶液が欠かせないという写真撮影だった。カメラの他に手荷物が非常に多くて写真家にとっては大変だったかも知れない。本当に好きでなければやっていられなくなる世界だったように想像されずにいない。


アリス・リデルの乞食娘の写真は六歳でルイス・キャロルによって撮影された。不思議の国のアリスはアリス・リデルが十歳で皆――ロリーナとイーディスの二人の姉妹とルイス・キャロルと彼の友人のロビンソン・ダックワース――で出かけたアイシス川(テムズ川のオックスフォードから上流)へのピクニックでルイス・キャロルから遊びで聞かされた小話を書き留めておいて欲しいと本人に頼んだのが切欠で出来上がったといわれる。その四年程前で小説とは何一つ結び付かないようなイメージの写真だから一見してどうしてわざわざアリス・リデルが乞食娘に扮装しているのかと非常に疑問が大きかった。


調べると同時代のイギリスの詩人でアルフレッド・テニスン乞食娘が流行っていたせいかも知れないと分かって来てやおら面白くて世の中と一体化するように子供が喜んで扮装したがるのも当然だと微笑ましく受け留められてしまいもした。


彼女は胸に両手を置いて、
その美しさは言葉も及ばぬ。
乞食娘は裸足で
コフエチユア王の前に来た。
王冠と袍衣をつけた王は下りて
道で彼女に逢つて會釋せられた。
『不思議はない、あの女は陽よりも美しい』
と、殿様たちは言つた。


曇つた空で輝く月のやうに
彼女のみすぼらしい姿は美しく見えた。
その踝や目を讃めるもの、
緑の黒髪愛らしい顔色を讃めるものなどとりどりだ。
あんなに美しいエンヂエルのやうな姿は
その國にはこれまで見たことがない。
コフエチユア王は誓はれた。
『この乞食娘を朕の王妃にしよう!』


アルフレッド・テニスンの乞食娘(幡谷正雄訳)

イメージのキーワードは「エンヂエル」(angel:天使)で、乞食娘は見た目は醜くても素晴らしく引き付けられるんだと歌い上げている。すなわち心の目に映る世界をアルフレッド・テニスンは作詩しているので、一つの清らかさにルイス・キャロルも打ちのめされてアリス・リデルにみすぼらしい格好をさせて写真を撮ったようだ。


すると本当の願いが良く分かる感じがする、数年後に完成した小説の不思議の国のアリスについても新しく。


物語の流れが支離滅裂で、作者が主人公のアリスにどんな思いを抱きながら書いているのかが読みながら気を逸らされて掴み兼ねる。受け取る印象は支離滅裂なだけだし、どんな思いで書かれていても関係ないのではないかとはっきり捉えないで済ませてしまっていたけど、しかし乞食娘のアリス・リデルの写真を踏まえると純粋可憐な心の美しさを永遠に思っていたと考える他はない。畢竟、本当の願いもアルフレッド・テニスンの乞食娘を通して受け取られる天使とも見做されるイメージに匹敵するほどの清らかな世界へきっと向けられていたはずだろう。


参考:不思議の国のアリス ルイス・キャロル探索 写真湿板 ダゲレオタイプ、湿板法、乾板、フィルムの基礎知識 ルイスキャロルはロリコンか?

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