勉強しながら生き生きしていたのに学校嫌いになってしまうコンプレックスは持たないには越さない 結城永人 - 2017年11月19日 (日) 学校で殆ど全ての子供たちが元気なのは小学二年生までだと思う。小学三年生から学校嫌いの子供たちが少しずつ増えて来る。最も大きな原因は勉強が分からない。または授業に付いて行けないせいだ。 およそ勉強嫌いが始まるのは授業に付いて行けなくなる小学校三年生くらいからだろう Children in the clasroom by klimkin / Pixabay 理想的な人との恋愛ととても良く似ている。ほんの少しでも気に入らない部分を受け取ると好きだった何もかもが疑わしく変わってしまう。世界の終わりと共に彼と彼女は現実的な人との恋愛を改めて模索する。ダイアモンド越しに胸打たれる楽園が遠ざかるばかりの今此処で、衝撃な出会いを遂げた二人が力尽きて別れない可能性はもはや極めて低い。夢見られた喜びの消え去った純粋な絆が素晴らしくも重く引き離して行く生活の実態は心苦しさそのものだろう。 僕は小学三年生から家庭学習を取り入れた。というか、少しだけやっておいたら中学時代までは学校の授業だけで事足りた。姪も九歳頃に勉強ができないと初めて口に出していたので、小学三年生をどう乗り切るかが学校嫌いを避けるためには重要だと考える。 ある意味では世界の終わりに匹敵するわけだから人生の絶望感を抜け出せないと後々まで自分には教科書の内容などは理解できないと学校そのものに拒絶反応を起こし易くなりそうだ。 振り返ると中学時代でも高校受験を除くと学校の授業に違和感は少なかったし、詰まらないというのは気にし過ぎていた。学校嫌いは一般的に精神状態が大きいと思う。本当は勉強できる能力があるかどうか、成績の高低については問われなくて良かったんだ。 九歳頃に落ち零れの危険性が出て来る。歯が何本も抜け替わったりして慌ただしい日々を送りながら学校の授業への集中力が下がっている時期なのではないか。大事なのはその時点でコンプレックスを持たないようにする。皆に諸々の教科に向いているかどうかの才能のばら付きが年々と増して来るにせよ、中学時代までは違和感は少ないから学校嫌いで余計にやる気を失わなければもっと面白いはずだと想像する。 最初の生き生きした気持ち、学習への意欲、勉強したい思いをしっかり得られるかどうかに小学三年生以降の全てはかかっている Children studying by klimkin / Pixabay 理解できれば面白い。しかし学校の授業は基本的に知識の積み重ねだから後から取り戻すのは難しい。時間が酷くかかってしまう。 中学時代、辛かった。友達に勉強を教えてくれと珍しく頼まれたけれども小学生からやり直さなくてはならないと感じたので――小学時代から知っている友達で、学校の成績は昔からさほど良くなかったんだ――現時点で必要な知識を十分に与えたとしても結局は付け焼き刃に終わってしまうのではないか。勉強が面白いと頷くほどの物事を理解する瞬間を味わわせてやれないままでは勿体ないと嘆かわしかった。 精神が滑らかに速やかに軽やかに進んで行くところが思考の醍醐味で、学校の勉強でも経験可能なんだ。だからガリ勉も生まれる、学習が趣味の生徒だけれどもクラスに一人か二人くらいは見付け出されるように。小学時代は授業が簡単過ぎて端的には無理かも知れないけれども中学時代は簡単で丁度だろう。その後は困難だから努力が本当に必要だと思う。しかし経験すると面白くて止められないくらい引き付けられる。僕が先生代わりの中学時代の友達も気乗りを幾らか覚えたから勉強を望んだんだろうと認めたのは嬉しかった。 世の中には生涯学習という言葉があって時間を費やして構わなければ後から幾らでも取り戻せるだろうけれどもなるべく人生を無駄にしたくないと思う 元凶のコンプレックスだけは持たないには越さないし、学校嫌いの気持ちは足枷に他ならなくて本丸の勉強が詰まらない学生生活というと牢獄に送られるのと同義だ、概して小学三年生から始まりそうだから注意するべきだろう。 かつて本当に悔しかった。先生が理解できなくて諸々の科目に食らい付いて行くために家庭学習を余儀なくされたり、授業に集中力を力強く上げたりしなくてはならなかった。勉強は難しいと悩み出すと先ずはうんざりする。取りかかっても気持ちを立て直しながらでは捗らなくて大変なんだ。 個人的に今でも変わらない感じがするし、何年も過ぎても勉強への苦手意識が何となく残っているようで、作家活動を迅速に進めるために再び自分自分のコンプレックスで昔から拒絶反応を起こしていたはずの勉強が好きな気持ちをしっかり取り戻して頑張りたい。 コメント 新しい投稿 前の投稿
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