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アルベルト・アインシュタインの息子への手紙に受け取られた愛情に満ちて心温まる教育法について

どうすれば人は頭が良くなるのか。僕がいつも思うのは性格を高めるのが一番だ。さもなければどんなに頭の回転が早いとしても現実に幸せを齎せはしないだろう。不幸を作り上げる人を頭が良いとは呼べない。良い性格から考え付く全てこそ大事だと捉えている。


例えば政治家の川田龍平科学者のジョン・フォン・ノイマンよりも頭が良いように認める。


学歴でいえば前者は日本で普通の偏差値の東京経済大学で、後者は世界有数の三校:ブダペスト大学(大学院)とベルリン大学とチューリッヒ工科大学だし、両者の知能指数は全く以て比べようもほどにかけ離れているだろう。


ところが性格は反対に著しく対照的なんだ。川田龍平は薬害エイズ事件でエイズに感染しながら国の民主主義的に愚かな運営を二度と繰り返してはならないと命の尊さを主張して止まないのにジョン・フォン・ノイマンは核兵器を開発して日本への原子爆弾の投下を少しも厭わずに余りにも無惨な大量殺戮に手を貸してばかりいたわけだった。


学校の偏差値や脳の知能指数だけで人は頭が良いと判断されるならばおよそ社会は成り立たなくなるかも知れない。翻って性格が良くないと世のため、人のためにどんな災いが招かれても仕方がないから予め注意しておきたい。


就中、性格の良い人の頭が良い。驚いたのはところで科学者のアルベルト・アインシュタインも同じだったらしい。息子の十一歳のハンスへの手紙を見付けて読んでみたら愛情に満ちて心温まる教育法が受け取られたんだ。まるで尾木ママ(教育評論家)のような印象を与えるくらい非暴力的な発想から子育てを理解していたのではないかと気付いたりもした。


フェルディナンド・シュムッツァーのアルベルト・アインシュタイン

アルベルト・アインシュタインは世紀の科学者で、相対論(どんな座標系でも物理法則は変わらない)が従来の世界観を根底的に引っ繰り返して現代への扉を新たに開いたほどの認識だったし、頭の回転も常人を遥かに凌いでいたにせよ、かつて核兵器には招かれても手を貸さずに第二次世界大戦の二発の原子爆弾で荒廃し切った日本へは心を痛めた平和主義者だったので、人間的に優れていて性格は光り輝くばかりだったし、本当に頭が良いと感動しながら瞬く間に尊敬してしまう。


昨日、貴方から親愛な手紙を貰ってとても幸せでした。これ以上、貴方は私に何も書かないだろうともう既に心配でした。私がチューリッヒにいたとき、貴方は私がチューリッヒに行くと落ち着かないといいました。なので心地良く誰にも邪魔されない別々の場所で一緒にいられると良いと思います。気に入りの愛する父親を知るように、毎年、私は全ての月を貴方と一緒に過ごせるのを求めるばかりです。貴方は多くの良さや素晴らしいことや他の簡単には行かない何かを私から学べもします。私が本当に打ち込む仕事の数々から成し遂げたものは他人のためだけではなく、取り分け我が子のためでもあります。最近、私は人生で最も素晴らしい仕事を完成しましたが、貴方がもっと大きくなったときに教えるつもりです。


貴方がピアノに楽しみを見付けたというのをとても喜びます。これと木工は私の考えでは貴方くらいの年代で最良の追求で、授業よりもさらに良いです。なぜなら貴方のような若い人にはとても良く適することだからです。先生が割り当てなくてもおよそ喜んでピアノを演奏して下さい。最も多くを学ぶ方法ですし、時間が過ぎて行くのも忘れて本当に楽しんで何かをやっているときです。私は偶に仕事に没頭し過ぎて昼御飯を忘れます……。



親子の素敵な物語を感じる。家によって人それぞれだし、僕にとっては饒舌な父親のイメージにびっくりする。言葉数が多くて手紙をしっかり書いている。父親から手紙なんて貰った例がないから個人的には丸っきりの正反対だった。普段、会話も殆どなかった。


アルベルト・アインシュタインの教育法としては息子への手紙の二段落目が中心だけれども子供向けの内容で楽しみや喜びが何よりも重視されていると分かる。


難しいのは子供向けの教育法を口にしながら「私は偶に仕事に没頭し過ぎて昼御飯を忘れます」と大人にも当て嵌まって矛盾しているせいだ。


考えると「最良の追求」が子供向けの教育法の核心を表現していてアルベルト・アインシュタインが科学者の仕事から楽しみや喜びを同じように感じるとしても度合いは低い。


アルベルト・アインシュタインの教育法は楽しみや喜び以外は全く必要ではないといって良い


または遊びを奨励していて「遊び=学び」のスタイルが強く打ち出されているように受け留められる。


世の中で子供は好きなことを見付けると勉強にも良いと聞くのと変わらないだろう。


無理だから困る、一般的に。すなわち一心不乱に集中できるような世界は手に入らないのではないか。好きなことを見付けた子供たちが著しく頑張っているのは確かだし、個性を輝かせながら生きていて微笑ましいけれども全員とはかぎらない。詰まらない生活しか送れない子供たちもいる。夢も希望もないから個性はくすんでばかりとか悲しみに暮れるほどに全てを諦めて死ぬしかないなんて状態では可哀想としかいえない。何とかならないかと本当に悩ましい。


アルベルト・アインシュタインの息子への手紙の一段落目にヒントがありそうだ。


如何にも愛情に満ちて心温まるフレーズがたんまり出て来る。自由と平和を躍起する真実のパレードではないか。子供を安心させる親心が正しく大きいので、信頼関係を築き上げる触れ合いが教育法のベースになっていると推測されずにいない。


子供は弱いから自分には何もできないと思いがちなんだ。すると好きなことを見付けにどこかへ出かけような作業も大変になってしまう。勉強は子供向けで「遊び=学び」が理論的に有効だとしても最初から可能性が薄いとすれば前提条件の信頼関係を築き上げる触れ合いを欠かすべきではないわけだ。屋外でも屋内でも楽しみや喜びを少しでも速やかに探し出せる生活が子供の勉強にきっと役立つと考える。


頭が良くなるのは性格に即しているかぎり、親子の信頼関係に基づいた教育法を繰り出すならば人生の不安を相当に除去できるし、人間的に成長する、または能力的に向上する可能性そのもの/才能の器も広がるはずだ。


親に不信感を抱いている子供は他の全てを怪しまざるを得ない。要するに認識力が疑心暗鬼に囚われているためだ。出会った何かに嫌な感じを受け易いという気持ちのかぎり、もはや楽しみや喜びがやって来ても余計に取り逃がし兼ねない生活を余儀なくされる。


アルベルト・アインシュタインの子育てへの人間的な思いに裏打ちされた楽しみや喜びの教育法は素晴らしいと感心するし、概して人それぞれの個性を自由と平和に輝かしく羽搏かせる確率が最大限に高いような教えではないかと本当に驚かされる。


人は誰も生まれ付きで性格が悪いわけではないし、いい換えると赤ちゃんに罪はないわけで、自分以外の相手となるべく仲良くできて皆に幸せを齎すだけの物事を考え付く頭の良さを着実に得るためには身近な親から覚える安心感が必要不可欠な来歴なんだ。


勉強に楽しみや喜びが役立つというと諸々の学習が長続きするとか努力できるなんて利点も持っているけど。ただしアルベルト・アインシュタインは子供のために考えていて仕事と重ね合わせてはいない。飽くまでも遊びの一環としてざっくばらんに捉えてみると創造力や自主性を養えるかも知れないところが注目される。


いっそ物理学で相対論が人類の稀有な達成だったような閃きそのものの本人の科学者としての精神的な特徴の由来と源泉がはっきり示されているとも過言ではないだろう。


知的好奇心から世界への曇りのない眼差しというか、勉強に好きな気持ちで純粋に取り組んだらかつて他の誰も見聞しなかった何かを初めて手に入れるのも比較的に容易いのが自然だと感じる。


参考:天才アインシュタインが父として息子に語った「学習法」が深い The Secret to Learning Anything: Albert Einstein’s Advice to His Son

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