テレビで東京都江戸川区女子高生殺人事件の裁判のニュースを観た。女子高生が興味本意で首を絞められて殺害されたという内容だった。知って相当に気がかりな感じがした。
犯人の青木正裕は極貧状態のどうしようもない生活だった。もはや死ななければならないから自殺するよりも他殺して裁判で死刑になる方を選んだらしい。特徴的なのは誰かの首を絞めてみたいと女子高生を狙って興味本意から犯行を企てていた。猟奇殺人の一種だけれども必ずしも主要な動機ではなくて極貧状態から来ているというところが何なのかと訝らせる。
常日頃から胸にもやもやを相当に抱え込んでいた性格だったせいだと推測される。
借金が百万円以上もあったみたいだ。自分で返せなければ投獄されてでも人生をやり直すしかなかったのではないか。どうしようもないと何もかも諦めて死ななければならないと考えてしまったんだ。
僕もかつて同じように借金を抱えていて少しずつ返すのと借りるのを繰り返しながら十五年程で完済した。リボルビング返済だからちまちまやっていると利子が大変で、いつ終わるとも知れなかった。最終的には新しく借りないで、ドカドカ返し続けてこそ倹約だと気付いたわけで、そのためにはどこかで働くしかなかった。どこかで集中的に稼いで元本をしっかり減らす。さもないとリボルビング返済は利子ばかり返して憂鬱な心境に追い遣られる。百万円以上も借金があれば、大体、一ヵ月に二万円くらい利子が付いているかも知れないし――安物のスマホを、毎月、買い換えているに等しい――極貧状態において本当に大きい。十五年程、貯金していたらおよそ三百万円も残っていたわけで、どうにも借りずにはいられなかったにせよ、僕は物凄く損したと振り返るだけだ。
もしも借りるならば直ぐに返すのが良策だろう。リボルビング返済の借金は便利だけれども返しながら借り出すと毎日がもはや利子の支払いに終始し兼ねない。生活上、未来が狭められながらどうしようもないと気が滅入る。
青木正裕はコンビニでアルバイトをやっていたけれども犯行時点で無職だったから借金を返すというあてがなかったのは確かだろう。
極貧状態で借金百万円以上は間違いなく辛いけど、ただし自分が苦しいから誰かの首を絞めたくなったとしたら考え方は稚拙としか呼べない。
皆と自分は同じだと思い込み過ぎている。だから人生が望ましく送れないままに皆もそうではなくてはならないと青木正裕は自己陶酔によって世の中を倒錯的に確認したかったんだろう。女子高生が一つの身代わりとして苦しみを味わわされてしまったと考えると極貧状態の借金百万円以上の真実を明かしているとも過言ではない。すなわち青木正裕は殺害された女子高生の不幸のように気持ちが死んでいたと悍ましくも示し出していたわけだ……。
精神的に自他の区別が覚束なくては自我が未発達だし、思春期に人格の形成が遅れたせいかも知れない。学校でいじめを受けながら母親からも相手にされなかったといわれるからストレスは相当に大きかったようだ。精神障害者でなくても他者意識を欠いては物事の客観的な認識が乏しいのは変わらないし、社会への適応能力が危ぶまれずにいない。
コンビニのアルバイトで借金百万円以上では生活設計が成り立たないから考えながら十分に倹約しなくては行けなかったはずなのに生活費を切り詰める方法を持たなかった。
僕も二十代はスーパーがコンビニよりも安いと気付かなくて無駄金を使い捲ったと後悔するけど、毎日の食料は貧乏ならば本当にスーパーで買うべきではないか。自動販売機の飲み物も今は殆ど見向きもしなくて飲み物自体も小さな缶よりも大きなペットボトルしか手が出ない。とにかくコンビニも含めて便利な分だけ高いという世の中だから同じ商品ならばどこでも同じ値段だと思い込んでいると損してしまう。
加えて若いと人生に自信がないから貧乏でも仕様がないと好んで倹約しない気持ちも大きかった。生活が苦しいのは当たり前となると取り立てて解決策を講じ難いという。コンビニや自動販売機をいつも使いながら高くて生活設計が成り立たないと少しは感じつつも打開するつもりにはなれないままだろう。僕なんかそんなふうに過ごしている中で実際に借金に手が伸びてしまった。日々、倹約するべきだと心から確信したのは返済に否応なしに迫られた後からだった。
恋人がいればもうちょっと益しだったかも知れないし、貧乏でも人生に自信が付けられて自分で何とかできると勇気が芽生えるとすると青木正裕が女子高生を狙ったのは無意識の悲鳴も聞こえて来る。警察の取り調べでは話し易かったと応じているらしい。知って本当は好きだったみたいに受け取るんだ。精神的に未熟だから良く分からなくてイメージが話し易かっただけしか湧かなかったせいではないか。コンビニのアルバイトで一緒に働いていたから種々と交流しながら勇気付けられて頼もしいほどに自分に必要な人だと感じてなかったとはかぎらない。
青木正裕の東京都江戸川区女子高生殺人事件は二十代という青年期の実情が多面的に受け取れるところが人生を見直させるし、注目するほどに固有の人間性の所以を文学として追求してみたくなるような感じもするよ。
精神的に未熟な部分が大きな原因だけれども健常者だから仕事も恋愛も上手く行くとか教育がしっかり行われるなんて仕方でしか避けられなかったようだ。どちらも人々のありふれた悩みかも知れないし、国が不景気だと犯罪が酷くなるという典型的な状況を写し出しているとすると年齢を問わず、僕も自分自身に用心するべきだろう。
日常生活で抱えてばかりの不満が闇雲に爆発した青木正裕には《驚くに足りない驚き》こそ如実だった。忘れた頃にやって来る災いそのものではないか。ありふれた悩みは運任せというか、偶然に逃れるだけでは恐らく危ないわけなので、現実は爆発するならば情熱にしておきたいにせよ、口だけで終わるようではもはや誰なんだと第二の青木正裕になっていても可笑しくない。
どんな不満も常日頃から抱えない生き方とは何か。些細な日常の素晴らしさを心から知るべきだ。未来はきっと明るいと希望を喜ばしく持ちたい。
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