金儲けに必要なのは気持ち良く過ごせる大きな木への誓いだけだ 結城永人 - 2017年5月22日 (月) 大きな木が日差しを明るく受けながら風に沢山の葉を戦がせているのを見ると気持ち良い。幸福を予感させる。昔は何とも思わなかったから僕が不幸を生きているせいだろう。手の届かない幸福の有り難みに胸打たれているんだ。ならばいつでも同じままの自分らしさが望まれる。落ち込んだ不幸でも浸り切った幸福でも味わえない気持ち良さが有り難くて素晴らしい。明るい日差しの中で風に沢山の葉を戦がせている大きな木は些細な日常の趣きそのものではないか。命一つが喜ばしいという詩的な真実に他ならないとすれば人生の微笑みと覚えておこう。 大事みたいだ、実際に不幸を免れるためにも。どうして失敗してばかりいるのか。不幸から幸福になるのは無理だというしかない経験を二十年以上も強いられ続けている。詩の世界は満ち足りているし、幸福そのものだけれども実生活に結び付いてくれない。 今はとにかく金儲けが求められるものの満ち足りるには程遠い。決して大金を願っているわけではない。世の中の貧困生活の一員が抜け出せないのが悲しいんだ。それこそ二十年以上の不幸のあからさまな所以だろう。日本の好景気がバブル経済と終わりを告げてしまった。すると僕は低迷した国と足並みを揃えながら裕福の欠片も掴めない日々を被っていた。災難だからもう本当に切り捨てたい思いで胸一杯だけれども駄目なんだ。死にたくなるし、自殺せざるを得ないという悲しみに包まれるだけだ。 どうするのか。素晴らしい大きな木に誓って日々を気持ち良く過ごしたい。すればきっと幸福が訪れる。信じるしかないんだ、神を。僕が元気な印象を与えるかぎり、同じような人たちが寄って来て仲良くしてくれそうだ。金儲けならば一人では本当に無理だし、仲間を増やしてこそ上手く行くように思う。よもや実生活を詩の世界と置き換えて生きるのが利口だったに違いない。不幸でも満ち足りているからきっちり耐えられるし、余程と頑張りながら裕福へも近付き易い。 人生が駄目で自分らしさを直ぐに否定するのが幸福を遠ざけるんだろう。生きたければ身も心も腐らなくて良い。自分らしさで駄目な人生こそ否定して直ぐに終わらせるくらい楽天家になると幸福もあっさり目に浮かぶ。免れないと記憶された不幸の忌まわしい広がりに掻き消されずに済んでいる。前向きに頑張るために真実を少しでも歪めてはならない。幸福のために重要なのは自分らしさのかぎり、もはや受け取ったどんな人生にも囚われるべきではないし、将来へ成功を夢見て突き進むという認識だけが正しい。 コメント 新しい投稿 前の投稿
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