アレクサンダー・セメノフの壮麗なかぎりの水中写真と野生動物を撮影する際の心構え 結城永人 - 2017年6月21日 (水) 一度、目にしたら容易に忘れられない美しさとはこれではないかと感じさせて止まない壮麗なかぎりの水中写真の数々を生物学者で写真家のアレクサンダー・セメノフの写真撮影から驚きながら覚えたんだ。 色鮮やかで不可思議な形の生き物たちが幻想的な印象を与える Pegea confoederata by Alexander Semenov さながら御殿のようだ。思い起こすとやはり壮麗なかぎりだけれども手放せない幸せが人生で尊く示されていて足を踏み入れた誰も彼もが心から喜んでいる。極楽とも過言ではない様相を呈していて現世での不満は吹き飛ばさてしまう。苦しいだけの毎日からは嘘みたいな本当の世界としての住処だ。もはや立ち去ろうとは認められず、去り難いかぎりの思いに駆られる。幻想的な印象と共に御殿とそっくりの生き物たちも胸一杯の真実こそそれぞれに固有の仕方で体現しているわけだ。 しかし人々の美しさへの発想が自然界から取り込まれているとすれば自己表現の事情はおよそ反対かも知れない Unidentified hydrozoan by Alexander Semenov 素晴らしい建築物のイメージは生き物たちの魅惑する様子にこそ最初から含まれていたと考えて良い。美しさとは何かの問いかけに改めて気付かされるほどに愛しさが増して来る。根源的にいえば些細な日常の触れ合いの奇跡、つまりは好運な恵みだろう。身近な愛しさによって美しさもさらに遠大に生み出され得るに違いない。少なくとも魅惑する様子の生き物たちから目が離せなくなる気持ちは他の世界よりもずっと身近で、抜き差しならない状態を示していると認める。美しさは愛しさだと呼ぶだけの今此処が正しく楽園のようで、よもや尊べばいっそ何もかも抱き締めたくなるくらい衝撃的に感じ入る。 生き物の写真撮影では生き物を知ることが最も大切にされる One Lesson I Learned in Photography - Episode 3: Alexsander Semenov|EIZO Grobal アレクサンダー・セメノフによれば驚きながら受け取らざるを得ない壮麗なかぎりの水中写真の数々をどのように撮影するのかで最も大切なのは生き物を知ることらしい。 野生動物の写真を撮影する場合はまず第一に被写体を知る必要があります。カメラを設定することやとても良質な望遠レンズを幾つも揃えたりすることでは全くないんです。まず第一に必要なのは動物の行動やいつどこで出会えるかを知ることです。 >原文 If you are a wildlife photographer, first of all you need to know yours object. Not just camera settings and not just having a collection of very nice and long telephoto lenses. First of all, you need to know animal behavior and when and where you can meet it. One Lesson I Learned in Photography - Episode 3: Alexsander Semenov|EIZO Grobal(訳出) 写真撮影の基本的な意見だけれども含蓄深い言葉だ。被写体を大事にしていてしかもそれなしに写真撮影が始まらないくらい尊重しているから本質的に捉えている。アレクサンダー・セメノフは被写体とかけ離れた思考を写真撮影について全く持たないといって良いだろう。 すると渾身の一撃に匹敵する写真撮影が自己表現として情熱的に可能なんだと分かって来る。 被写体のためだけに思考が行われている、または写真家の持てる力の全てが尽くされるとすればやはり仕上がりの作品のインパクトは否が応にも高まらずにいなさそうだ。 アレクサンダー・セメノフの写真の一枚ずつが稀に見る美しさで容易に忘れられないという所以はそうした野生動物を撮影する際の心構えにあると感じる。芸術として胸に迫るように作品のインパクトが大きくなかったら驚くはずもなかったし、壮麗なかぎりの水中写真には気付き得なかったのではないか。 およそ写真は一瞬で切り取られた世界の詩だとすれば知ることとそして出会いに気持ちが込められているせいだろう Smiling Beroe cucumis is not hungry anymore by Alexander Semenov アレクサンダー・セメノフと野生動物との間の貴重な関係がイメージを独自に作り上げている。他に代え難い世界として写真に収められているところが詩的と味わわれるし、素晴らしい一瞬を目にしては本当に良いと思わずにもいない。 なぜ野生動物を撮影する際の心構えは被写体を知ることが第一なのかで、写真家にとって出会えなければ何も始まらないし、本を読んだり、誰かに聞いたりして勉強するべきだとも薦められていたのが精神力を高めるに等しくて共感したけど、驚くべき壮麗なかぎりの水中写真の作風と考え合わせて興味深いのは毒を持つ水母に刺されて死ぬかも知れないといわれていた。 安全な写真撮影のために野生動物を知ることは確かに必要だろう。しかしながら出会いから完全には避けられないのではないか。写真家が命懸けで取り組むのは根本的に変わらないので、危険性と隣り合わせの思いが写真には滲み出てきそうだ。生きられて良かったと意図的でなければ雰囲気として反映するように想像したくなる。 人生の有り難みから捉えるとアレクサンダー・セメノフの写真には感動も一入だ。 参考サイトAlexander SemenovAlexander Semenov コメント 新しい投稿 前の投稿
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