火事場の馬鹿力は炸裂する胸のエネルギーの後からではもう出さなくて良いさ 結城永人 - 2017年6月12日 (月) 一昨日のブログのアクセスが百五十人に達して一週間前の百人以上を大きめに上回った。 ブログの一日当たりのアクセスが一週間で、数十人、増えるというのは相当に素晴らしい伸び率だし、それこそ二週間連続の快挙だったと振り返る。 来週も再来週も同じならば一ヵ月で百人程度の上乗せが見込まれる。一年ならば千二百人程度だし、すると遅くても十年で一日一万人のアクセスが得られると推測される。 しかもブログに記事をどんどん増やして行くから実際にはもっとずっと早くなる。アクセスといってもGoogleなどの検索エンジンから得られるのが大部分なので、記事が多ければ多いほどに検索結果に出て来る可能性は上がって行く。 サイト評価が上がればアクセスの伸び率も上がるし、数年で一日一万人も達成できそうな予感がしてしまう。 一昨日の一日百五十人のアクセスは二週連続で一日当たりのアクセスが、数十人、増えたという点で、物凄く嬉しかったし、受け取りながらブログへの気持ちが大幅に変わった。 端的にいって火事場の馬鹿力をもう出さなくて良いのではないか。 頑張っても頑張っても誰も来ないとか来てくれてもジリジリしか伸びて行かないなんてアクセスに長らく苦しみ続けていたけど、開放されたように晴れやかな思いを抱かずにいられなかった。 昨日のアクセスは先週の一日百人程度のペースに戻ってしまったし、やはり上向きに、毎日、伸びるのは難しいという他はないにせよ、一日でも大きな期待を現実に抱いたかぎりは以前よりもスムーズにブログを更新するべきだと悟り出し得た。 何が火事場の馬鹿力だったか Burning house by kolyaeg / Pixabay 今まで不可能を可能にするような境地からでしかブログを考えられなかった。どんなに頑張っても膨大なアクセスなんて死ぬまでに手に入らないのではないか。夢を掲げつつも可能性が見えない中で、希望を情熱的に保って記事を増やすだけだった。 翻って頑張れば何とかなりそうだと初めて実感が湧いたのが非常に大きい。 不可能ではなく、あり得る世界、真実に明るい未来を想定しながらブログをやって行けると気持ちが新しく炸裂して胸にエネルギーが広がるばかりなんだ。 いい換えると人生への迷いが完全に断ち切られたせいで、夢に全身全霊で向き合えるのが有り難くてブロガーとして将来性の高まりが味わわれるし、どうせ駄目だとかやっても無駄だなんて、日々、後退する感じが減らされるままに努力を少しも削がれなくなったのが純粋に楽しい。 思い出したいのはかつて塾の講師をやって聞かされた生徒の言葉で、何で訊いたのかは忘れたけれども最初から駄目だと思っていたら何もしないみたいに応えていたのを覚えている。素晴らしい意見だと瞬時に感じたし、取り分け最初から駄目だと思わずに済んでしまう状態、または人生こそ大事にしなくてはならないと甚く思い至らされた。 本当に素晴らしくて聞かされた言葉そのものは十代ならでは《疑いのない世界》が詩的に出ていたようだったけれども生き甲斐に満ち溢れているイメージを受け取ってそれこそ作詩以外では厳しいと何年も苦渋を飲まされるしかなかった、どうでも構わないはずの地獄の不穏な災いの数々から。 やっと来たといいたい、僕にも二週連続の多めに伸び行くブログのアクセスの経験で。 最初から駄目だと思わずに済んでしまう状態、または人生を正しく愉快に抱えている。 夢を叶えるにせよ、サイト広告で生活費を稼ごうなんて僅かな可能性しかないはずだし、完全に間違ってないともかぎらないくらいの大風呂敷な人生設計なので、フランダースの犬のネロのように死ぬしかない悲劇に見舞われないままに実現されるかどうかに思いの全てはかかっているんだ。 僅かな可能性に渾身の自己表現を最大限の努力として貫き通すならば火事場の馬鹿力で不可能ではないと物事を全面的に覆すよりも余程と効率的なはずなので、一昨日から実地に世界を十分に信じられたのが切欠だけれども先々への狙いを気持ちから徹底的に絞り込んで生きて行くべきだと考える。 コメント 新しい投稿 前の投稿
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