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些細な日常

やる気を高めるためには必死に頑張るだけではなくて失敗を恐れない勇気も欠かせない

ブログの検索エンジンからのアクセスが、二週間以上、足踏み状態に陥っている。掲載順位は落ちていたのが戻りつつあるから大丈夫だと思うし、来週から良さそうだけど、今週からそうなると予測したのが外れたから悲しくてやる気が完全に失せている。

やる気がなければアクセスアップのアイデアも浮かばないだろう

落ちていた掲載順位が完全に戻るまでは検索エンジンからのアクセスが持ち直さないということならば笑ってしまうけれども来週からチェックするしかない。期待していると又肩透かしを食らって掲載順位が反対に落ちてしまうかも知れないので、本当にどうしようもないけど、やる気が失せていると碌なことを思い付かないわけで、とにかく未来は暗くなるばかりだ。明日、否、今直ぐにもうここから誰も来なくなるブログに他ならないのではないかと不吉な予感で生活そのものが覆い尽くされてしまう。

ブログには四百件以上の記事が掲載されている。だから一日百人で喜んでいる場合ではないし、本当は検索エンジンでのサイト評価が低くてアクセスは余りに酷過ぎるんだ。理想的には記事数に見合った人数を確保しなくてはならないブログのはずだ。検索エンジンに有利な記事もあれば不利な記事もある、キーワードによって。ただし全体で均せばそれぞれは相殺されて一つの記事で一日一人が理想的だから現状は四百人以上が求められる。

ブログを開設して、一年以上、経たないとGoogle検索でのサイト評価は安定しなくて底上げされないからたぶん考えても仕様がないんだけれども黙って記事を増やし捲るのも苦しいのは事実だ。少しでもアクセスアップが可能ならば一年後に全記事が一気に盛り上がるにしても潜在能力を高めておくには越さない。

人を数多く呼べる記事、ブログとは何かを前以て着々と整備し続けて行かないといつか検索エンジンに好まれてアクセスアップのスイッチがはっきり入ったとしても得られる結果は理想的な水準に遠く及ばないかも知れないわけだ。

巷ではブログを開設して三ヵ月で一日何千人も達成したと良く聞かれるし、全体から見ればほんの僅かなブロガーの発言にせよ、多少とも追い付くような手応えがなければ自分自身で期待しながらブログを更新するのも虚しいかぎりだ。

些細な日常は半年で一日百人も危ない。前のブログのSuper Leak(旧些細な日常)なんか一年半でその半分にも至らなかった。

検索エンジンに好まれない要素があれば少しでも見落とさずに修正できないと不味い

両方とも記事の仕上がりは変わらないはずだし、ブログの訪問者数に雲泥の差が付いてしまうのは検索エンジンが全てで、取り分けGoogle検索に好まれるどうかで決まると考えられる。ブログを移転してブロガーとして調子が上がっても浮かれてばかりではアクセスアップに取り溢しが避けられないかぎり、目先の目標ならば一日百人がしっかり越えられるところへ持って行けるという方法を早く早く探し出してブログに取り入れなくてはならない。

やる気がないと駄目で、頭も回らなくなる、ただし。アイデアが閃かない。増えない訪問者、停滞するアクセスで毒の沼地にずぼずぼ嵌まるように馴染み深いドラゴンクエストだけれどもプレーヤーはダメージを奪われ続けて同じように倒れ去るブロガーでしかなくなりそうではないか。

いい換えればモチベーションが保てなくて日常生活が覚束ないわけだろう。

僕にとってはブログのアクセスアップに様々な取り組みを行って結果が付いて来ないせいだ

現状維持だから下がるよりは余程と益しながらそれ自体が目標に全く達してなくて成長しなくては元も子もない努力を求められている。未来へは苦しいし、ブログを続けるのも厳しいという他はない。

やる気が失せるのは初めてではないし、只単にぼやいているに過ぎない。詰まらなくても新しい発見があるかも知れない。野村克也に改めて触れると大きな夢を叶えるために三年がかかっていたんだ。Google検索でのサイト評価もサイト年齢が三年ならば相当に有利ではないか。実際、検索エンジンを使ってキーワードの掲載順位が高いサイトでは一年以下の新設サイトは殆どないし、五年十年のサイト年齢がが当たり前だったりもする。

だから本当に焦りは禁物だ。会社でも聞いた例がある、新入社員が一年くらいで辞めるともっと長く二三年くらい続けなくては仕事を本当に続けるかどうかの結論を出すのは早過ぎるみたいな上司のぼやきを。ブロガーは孤独な作業だし、基本的には一人なので、誰も引き止めてくれる状況に置かれてないからやる気、またはモチベーションを自覚しながらしか続けられないだろう。

夢は大きく持つほどに上手く行かなくて心を押し潰されがちだから苦しいばかりだ

しかし苦しいから必死に頑張るのでは二十代の発想でしかない。振り返ると苦悩の塊だったし、若いうちは世の中を見返すように苦しいという真実こそ大事にしなくては後から自分らしさもきっちり身に付かないはずだ。

四十歳を過ぎたらしかしどうか。第二の人生では文字通り、何もかも過去の繰り返しに等しい部分は免れないだろう。それならばそれで内面的に超越して《繰り返される経験》とは何かを新しく知らないと詰まらないわけだ。さもなければ幸せかどうかもどうでも良くなり兼ねない。

貯金が少なくて貧乏なだけの僕には正しく命取りだ。ブログのアクセスが不十分なままに止まっていてはサイト広告で生活費を稼げなくて死を待つだけの現実しかない。どんな努力に結果が付いて来るのか、頭が回ってアイデアが閃くというやる気が著しく問われるわけなんだ。

哲学的にいえば使命感だけが心を支えてくれるにせよ、実地の具体策としては持つ夢の大きさに押し潰されるのが災難だから目先を変えるべきだ。

どうしようもなければ未来を全く見ないくらいで、丁度、良いというのが不幸を生き抜くための人生の前提条件かも知れない

今此処でやるべきことだけをしっかりやるならばいつでもできている感じがしてしまうけど、ちょっと違うんだ、とにかくだからやる気を掴むための方法については。

やるべきことが定まらないからやる気が失せる。全てが無駄に思えて何もできずに夢が萎むんだ。止めるか、続けるか、考えるだけで疲れるし、精神も参る。命懸けの夢を諦めるわけには行かないかぎり、もはや努力の終わりは人生の引き上げではないか。うんざりしながら将来へは流れて行く時間に引っ張られるだけの存在を余儀なくされて場合によっては堪り兼ねて自殺しないともかぎらない。

未来を全く見なければ物事は予測不可能で努力しても間違いを反省できずに繰り返しながら死んでしまう危険性を免れないにせよ、やる気を高めるためには失敗を恐れてはならないのも確かだからつまり夢に向かって動き出して始まった物事を求めるならば勇気を振り絞って成功する可能性だけは真っ先に信じておくと良いんだ。

人生はどうにもならなくて直ぐに終わりではない。どん底ではむしろ夢を持つ志すらが難しいわけで、現実に試されるのはもはや当たり前には受け入れられない希望を味わい得る勇気なんだ。絶望の淵を彷徨いながら苦々しく逃れるべき死を目的にしていては気付くはずもない。

ブログを更新しても虚しいかぎりの朝昼晩が自分らしさではないと希望のアクセスアップに仕向けるやる気を捨て去らないように夢に向かっては必死に頑張りつつも焦ってはならないし、現段階のGoogle検索でのサイト評価については正面に上がるのは開設して一年以上もかかると分かり切っているから半年で結果が付いて来なくても気長に受け留めたい。

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