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松尾芭蕉はおくのほそ道で憧れの松島へ訪れても言葉を失うほどの絶景のために俳句を残さなかった

虚覚えというか、今夏、松島の記事を仕上げて松尾芭蕉の松島の句があれば読んでみたいと探した。

おくのほそ道の旅で松島に訪れた感じがするのに俳句を詠んだかどうかが記憶に全く残ってなかったり、どこかで本人の作として聞いた「松島やああ松島や松島」が事実かも定かではなかったり、訳が分けらなくて本当に困ってしまう。

分かったのは調べた結果だけれども松尾芭蕉はおくのほそ道で松島の句は詠んでなくて紀行文しか載せてなかったのと「松島やああ松島や松島」も田原坊(狂歌師)の「松嶋やさてまつしまや松嶋や」が人伝てに変化して作者も誤って広められたのとが正しかった。

松島の海のパノラマ

松尾芭蕉にはおくのほそ道以外に松島の句が全くないわけでもなくて蕉翁全伝附録という本に「島々や千々に砕きて夏の海」(しまじまやちぢにくだきてなつのうみ)が旅の後で残されていたらしいんだ。

味わいが薄くて印象も弱いから松尾芭蕉が詠んだとしても特別に優れた言葉遣いとは認めない。日本三景という有数の絶景、松島への渾身の一句には相当に物足りないだろう。俳聖の駄作と退けざるを得なければ最初から知らない方が良かったと逆に後悔させられる。

ただし考えると違うのではないか、晩年のモーツァルトの音楽のように普通とは。当たり前には計り知れないはずの澄明な世界を余人の追随を許さないほどに精妙に捉えている自己表現に他ならなさそうなんだ。極めて細やかな心遣いによって紡ぎ出された言葉からのみ出来上がってないわけではないと受け取ると「島々や千々に砕きて夏の海」は本当に想像を絶する素晴らしさを持っていると認めるのに無理はない。詩的にいうと宇宙が泣いてしまうに等しい。人間が到達する感動の限界まで痛感させる芸術性を教えてこそ止まないから松尾芭蕉ならではの松島にも相応し過ぎる余りの仕上がりの俳句だったし、驚くべき言葉遣いだったわけだ。

松尾芭蕉の松島への思いを理解するために

松尾芭蕉と曽良

おくのほそ道の二十四章目に「松島」が出て来る。全体が五十章だから、丁度、中頃に松島への思いが綴られていた。

抑事ふりにたれど松島は扶桑第一の好風にして凡洞庭西湖をはぢず東南より海入て江の中三里浙江の潮をたゝゆ島々の數を盡して欹ものは天を指ふすものは波に圃匐あるは二重にかさなり三重にたゝみて左にわかれ右に連る負るあり抱あり兒孫を愛するがごとし松のみどり濃に枝葉汐風に吹たはめて屈曲をのづからためたるがごとし其けしき窅然として美人の顏を粧ちはやぶる神の昔大やまずみのなせるわざにや造化の天工いづれの人か筆を揮ひ詞をつくさん

そもそも古いことだけれども松島は日本で第一の好風景で、およそ洞庭湖(どうていこ)や西湖(せいこ)に劣らず、東南から海を入れて湾の中に約12kmと銭塘江(せんとうこう)の潮を湛える。島々を敷き詰めて攲つものは天を指差す。伏せるものは波に匍匐する。あるいは二重に重なり、三重に畳んで左に分かれ、右に連なる。背負ったり、抱いたり、子供や孫を愛するに等しい。松の緑は細やかで、枝葉を潮風に吹き撓めて屈曲は自ずから矯めたに等しい。その景色は杳然として美人の顔を化粧する。神代の昔の大山祇神(おおやまつみ)の為せる業なのか。創造された大自然の働きはどんな人も筆を奮って誉め称える言葉を尽くせないだろう。

松尾芭蕉のおくのほそ道(現代訳は筆者)

松尾芭蕉はおくのほそ道に旅立つ前から憧れていたらしくて松島への思いは非常に大きかった。

又々たびごゝちそゞろになりて、松嶋一見のおもひやまず、此廿六日江上を立出候

又々、旅心地が抑え切れなくなって松島一目の思いは止まず、今月二十日に河川の畔を立ち出でる

そしておくのほそ道の一章目でも「松島の月先心にかゝりて」(松島の月が先ずは心にかかって)とはっきり触れられている。

松尾芭蕉にとっておくのほそ道の旅の目的は古人の史跡を追慕したり、地方の俳人と交流したりするなどの様々な向きがあったようだけれども動機付けは松島への思いと切り放し得ないと感じる。

絶景に言葉を失って貫かれた無言の松島

松島の海を飛ぶ二羽の鴎

松尾芭蕉はおくのほそ道の旅で居ても立ってもいられないくらい松島に非常に大きな思いを寄せながら実際に訪れてみたら俳句を残さなかったのはなぜかが疑問を与えるんだ。

折角、来たのに沈黙せざるを得なかった理由としては「造化の天工いづれの人か筆を揮ひ詞をつくさん」から捉えるのが本人の文章なので、信憑性は最も高いだろう。

すなわち絶景に言葉を失ったままに無言が貫かれた。後から詠んだとしてもおくのほそ道には旅先での経験として相応しくないから松島の句を載せる必要はなかったのかも知れない。

格好良いと感じ入る、松尾芭蕉はやはり真実を手放さないと。芸術的にいうとジョン・ケージ四分三十三秒(通称)という《無音の音楽》が有名かも知れないけど、何もしなくて美しいみたいなスタンスが似通っている。たとえおくのほそ道に松島の句はないとしても無言で詠まれたんだと受け取って良いはずだし、松尾芭蕉の沈黙せざるを得なかった理由を通して真実の松島を想像すると心も震えんばかりの美しさを覚えるし、非常に興味深く引き付けられもする。

師のいはく、絶景にむかふ時は、うばはれて不叶、物を見て取所を心に留メて不消、書写して静に句すべし。うばはれぬ心得もある事也。そのおもう所しきりにして、猶かなはざる時は書うつす也。あぐむべからずと也。師、松島にて句なし。大切の事也。

師がいうには「絶景に向かう時は奪われて叶わない。ものを見て、取るところを心に留めて消さない。書き写して静かに句にするべきだ。奪われない心得もあることなんだ。その思うところが頻りで、尚叶わない時には書き写すのだ。倦んではならない」のだそうだ。師は松島に句がない。大切なことなんだ。

松尾芭蕉の弟子の一人で、俳人の服部土芳がなぜおくのほそ道で松尾芭蕉に松島の句がないかを本人の考え方と共に「大切な事也」と書き残していた。松島の句がないからこそ「書写して静に句すべし」という俳句の教えが鮮明に浮かび上がって来るためだ。要するに松尾芭蕉は「絶景にむかふ時」に学んでいるとも過言ではないわけなので、松島の句がないのは言葉を失ったままだから正しいと感じる。

松島で何を経験したのかはおくのほそ道によれば人生で一つの衝撃としか呼べないだろう。

無言を強いられるのでは言葉を扱う身の俳人として何もかも終わりではないか。

しかしながら松尾芭蕉は俳句を止めなかったし、おくのほそ道の旅で無言の松島と引き換えに「書写して静に句すべし」の自己表現を真髄として新たに掴んでいたようなので、本当に凄いと考えてしまう。

絶景に言葉を失って初めて知られる世界が人間の内面を速やかに写し出す言葉遣いを可能にするというのがそこへ到達した俳人としての一つの境地かも知れない。

松尾芭蕉におくのほそ道で松島の句がないのは絶景に言葉を失った俳人の死を踏み越えてまさか俳句の真髄を新たに掴んだ経験のためだとすれば貴重だったと同時に生き返るように命拾いしながら学んだ自然への畏怖を孕んでいて崇高だったと受け取って良い。

参考:芭蕉庵ドットコム 芭蕉の俳諧

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