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モーツァルトの生涯は純粋なまでに音楽以外の何物でもなかった

人間は年を取ると聴覚が衰えて高音が分からなくなる。蚊の羽音に準えてモスキート音といわれて巷で面白いと思ったのは高校生が携帯電話の着信音に使って授業中に鳴っても先生に気付かれないように考えていたらしい。


彼、または彼女は大して勉強するつもりもなく学校へ行っていてしかも茶化しに夢中と止められないわけでもなさそうだから人生はどうなるのか、将来への意味の薄さに触れてまるで嚔の飛び出しかけた心が可笑しい。学級崩壊まで行けば面白くないと思うし、きっともっと由々しかったはずなので、個人的には助かりもしたようだ。


モスキート音が辛い、音楽制作で。大丈夫かと中年の耳で励んでいると少年が聴いて高音域に違和感を与え兼ねない。想像力で補うしかないと考える。音階は一定の間隔で上下しながら果てしなく連なり続けていると仮定すれば算出できなくはないし、さほど遠いところまでは実際にも使わないので、作曲では何とかなりそうだ。


ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト

僕は良いけど、するとモーツァルトが目に浮かばずにいない。モーツァルトは三十五歳で亡くなったけれども人間として、丁度、モスキート音が分からなくなる頃だった。突き詰めて考えると致命的な障害なので、音楽家として納得できる作品、自己表現に適した作曲活動ができないに等しい事態に見舞われてはもはや生きていても仕様がないみたいな形で、生涯の幕が下ろされたのではないかと察せられてしまう。


生きるためには健康だけではなくて気力も問われるし、モーツァルトにとってモスキート音が分からない、すなわち高音域が聞き取れないとした悲しみは非常に耐え難いものがあって内面的な衰えに生活が蝕まれて死期を早めたかも知れない。反対にいえば音楽に徹して人生を賭けながら全身全霊で打ち込んでいた結果に他ならないと驚かされる。


モーツァルトの死因そのものは謎に包まれている


生活に困窮して病気も抱えながら倒れ去ったというのが大方の見方にはなっている。歴史的な資料が殆ど残されてないせいだけれどもどんな状況だったかと実相を紐解くのは難しいだろう。



西欧でプロの作曲家として初めて自作曲を売り出したのがモーツァルトと考えられる。それまでは音楽家というと教会の専属で、自己表現も宗教の一環で行われていたし、近現代に主流となる個人のアーティストはまだ存在しなかったようなんだ。モーツァルトこそ走りだった、いわば作品のみで身を立てる生き方そのものが。


時代が整えられても四苦八苦せざるを得ないわけだから僕も死にかけてばかりの毎日にせよ、ブラックホールにミルクを注ぎ尽くすような飛んでもない愛情に触れられる可能性(人々よ)すらもない状況ならば詩的に紐解いてモーツァルトの上手く行かない気持ちは如何程だったかと咽び泣きにも追い遣られてしまう、現実に。


人生での成功を夢見ることも許されなかった


只々、自作曲を世の中に送り出しながら良いか、悪いかでしかなくて最初は人気だからやる気は満ち溢れていたはずだし、生活での蓄財も無理ではなかったものの次第に廃れたんだ。手紙にも借金のお願いが後年は増えて来てしまって相当に苦しんでいたに違いないと読み取られる。


想像するとどうだったか。世界からは悪い作曲家でしかないと告げられるに等しい。当時、誰も個人のアーティストという概念を速やかには知らなかったし、モーツァルト自身も音楽が好きだから教会を離れてさらに手広く求めて行っただけだとすると不幸の傷口は夢なしに負えば厳しく歯止めがかからないはずだ。内面は見る間に悲しみに包まれる。


シェーンブルン宮殿

モーツァルトは児童期から「音楽の神童」と人々に持て囃されて例えばマリー・アントワネットに所縁のシェーンブルン宮殿(ウィーン)で父親仕込みのチェンバロの素晴らしい演奏を披露して大喝采を浴びたというエピソードにはっきり示されるように人生の黄金時代を経験していた。だからちょっとやそっとではへこたれない性格だったのではないか。人間は児童期の経験が非常に大きくて小学校の低学年くらいに覚えたことが後々まで尾を引く、内面から人生へと。骨格に置き換えると骨盤に当たって存在の要所を極めるので、自分らしさへは日々の身動きの軽重に関係して来るかも知れない。


僕もそうだけれども人生の黄金時代を児童期に経験していると自らを天才視しながら他の誰にもできないし、またはしたがらないことでも平気で取りかかったりして決して諦めないわけなんだ。


モーツァルトがなぜ個人のアーティストというかつては前人未到の社会へ踏み込んだかはそれに尽きる、本質的に理解するならばきっと一つの超絶的な気持ちに。


すると亡くなったのも持ち前の途方もない活力源を失ったせいだと呼べそうなんだ。


人生が上手く行かない。人間が神よりも弱ければ当たり前の災いだけれどもモーツァルトには単刀直入に襲いかからずにいなかったのではないだろうか。夢見ることも許されなかった時代に又別の希望が芽生えるような内面を抱えていたとは断定するにも及び得ない。


詩人の目から見れば汚れのない魂とか清らかな心なんて精神の純粋な様子を垣間見せてくれる生涯を携えているモーツァルトは本当に人間としてこそ賞賛に値すると腰を抜かすほどに畏れられる存在だった。


気力から推察して貧困と病身が極めて不味かった(神も堪り兼ねて天界へ引き寄せたかったのではないか)けれども享年三十五がモスキート音と打つかるというのは才能についても同じように示唆されるところが感慨深い。


文学的に飾りたくもなる、モーツァルトは音が一部でも受け取れなくなった現実に嫌気が差したまま、自分らしい生き方とは本当に何なのか、音楽家への稀に見る決意と共に逝ってしまったんだと。


参考:ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト

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