やまゆり園で障害者ばかり襲った植松聖の反社会的で独善的な差別意識の存在は悪魔の操り人形だった

植松聖が相模原障害者施設殺傷事件というやまゆり園で二十六人の死傷者を出した事件はなぜ起きたか。犯行の原因を認識しようとすると非常に錯綜していて難しいと感じざるを得ない。


本人は障害者ばかり襲うという差別意識を著しく示していたけれども犯行前には知人や友人どころか、日本の一般人として当時の総理大臣の安倍晋三にまで伝えようとしていたらしい。


世の中で障害者が取り立てて問題を起こしているわけではないし、突如、いきり立って大袈裟に訴える必要は全くないだろう。


植松聖は大麻を常用していたらしくて普段の障害者への差別意識が余りに嵩み過ぎた結果として総理大臣に伝えようという異常行動が出て来たと直ぐに分かる。


ところが厄介なのはやまゆり園で二十六人の死傷者を出したという相模原障害者施設殺傷事件に繋がった言動の流れなんだ


本当にやりたければ誰に何もいわずに一人でやるのが最も成功率が高いはずだったので、止められるかも知れないにも拘わらず、あちこちへいいふらしながら敢えてやってみせるという仕方が大麻に起因する異常行動に数えられるかどうかが疑問として挙げられる。


逮捕されても植松聖の障害者への差別意識はなくならないし、もしも釈放されたら他の被害者が増えてしまうのは明らかなくらい根深く染み付いているようなんだ。


まさか留置場で大麻をやってないらしい。警察に社会的に拘束されながら平静の状態でも相当に間違った方面(歴史上は古臭いばかりの民主化以前の見方)へ精神が偏ってしまっているわけなので、相模原障害者施設殺傷事件というやまゆり園で二十六人の死傷者を出した犯行の原因は植松聖の人生の価値観から根本的には理解するべきだと考える。


日本で学校でも会社でも忌まわしい出来事が、沢山、ある。障害者へ向けなくともちょっとした差別意識ならばどこにでも転がっているかも知れない。思想的に捉えれば「猿」(柄谷行人)とか「インディーセント」(浅田彰)なんて指摘されるポストモダンの時代にせよ、どうしても他者を欠いた自己中心的な流れに存在ごと巻き込まれる人たちが後を絶たないみたいなんだ。現今の格差社会からすると経済上の貧富が前景化してもはや可哀想なまでに差別意識へと駆り立てられると推測される。


植松聖は生活保護を受け取っていたので、その気持ちを隠蔽するために障害者はいなければ良いと狙って犯行に及んだ可能性が高い。


赤ん坊も老人も含め全ての日本人に一人800万円の借金があります。戦争で人間が殺し合う前に、まず第一に心失者を抹殺するべきです。


植松聖/相模原障害者殺傷事件の植松聖被告が宮崎勤死刑囚について言及した手紙 via Yahoo!ニュース

国のためにやるという動機付けを自覚していてまるで政治家のような印象を与えるけど、障害者が年金を貰うのは無駄だから駄目だと捉えながら同じように何もせずに生活保護を受け取っている自分を棚上げにしていた。または生活保護を未来に安定させるために年金受給のライバルとして障害者を減らすという発想でしかなかった。本当は国のためではなくて自分のためにやっているはずだから理解したければ注意しなくては行けない。


口先に惑わされると誤解してしまうのが柄谷行人の「猿」だし、浅田彰の「インディーセント」という要するに反社会的な方法論だ。


普通に考えれば誰でも分かる。生活保護の受給者にとって障害者がいなければ国や地方が予算を立てる際に年金の枠へ比較的に有利に働くかも知れない。それだけが大事だったんだと想像する、植松聖にとっては。本人が気付いていたかどうかは別だけど、とにかくいわれるままに国のためと判断を下すと如何にも障害者だけが余計者と思い込まされる。


植松聖の持ち前の好き勝手な言動を批判するならば生活保護を受け取っていた事実から突き崩すのが賢明な洞察だろう。


それ以外はずれてしまう。植松聖のいう通り、国のためと聞かされて本当に一人の政治家として扱ったら思考に出口はないし、障害者は何もしないのに年金を貰っていても仕様がないのではないかと感じさせられて終わりだ。現実には生活保護で同じように何もしないのに年金を貰っていても仕様がない植松聖を障害者よりも優先的に(民主主義的にいえば質悪いまでに持ち上げて)笑わせているに過ぎない。


植松聖はやまゆり園で二十六人の死傷者を出したという相模原障害者施設殺傷事件が発覚して日本中に知れ渡った段階でも依然として全く反省してないと伝えられている。


答えは容易い、もはや。彼自身が障害者を否定しながら現実を遠ざけようとしている。逮捕されたので、生活保護の代わりに今度は警察で治安の費用:国民の税金を食い潰しながら国にとって経済的な利点は何一つないという状態を自分自身に覆い隠すために反対の口が止まらなくなっているんだ。笑うのは僕には無理だし、皆も同じだと良いと思う。


勉強不足の至る所で日本の裁判に詳しいことが分からないのですが、たしかに責任能力の無い人間は罪を償うことができません。しかし、それは罪が軽くなる理由になるはずもなく、心の無い者は即死刑にするべきだと考えております。



植松聖はやまゆり園の職員だったから犯行の全てが意外だったりもする。入所している障害者と接している間に見るに見兼ねて早く殺してあげるべきだと安楽死を望んだのが差別意識による凶行への最初の最初の切欠だったかも知れない。


これも注意しないと美談みたいなイメージを振り撒いているし、本人は観念に酔いたいわけだけど、無用心に耳を貸すと独善的な人助けが功徳だと洗脳される危険性がある。


可哀想だから安楽死が必要だと心理的に自己劇化が生じてから植松聖は入所している障害者にあらゆる面で粗暴だとやまゆり園を他の職員たちから追い出されるに至った。


驚くのは凶行がやまゆり園を恨んでなかった。事前に退職を余儀なくされていたから他の職員たちを殺傷していたらもうちょっと分かり易かったはずだ。本当に珍しいというか、存在において他者を欠いた自己中心的な流れが非常に強く出ていた。大麻も一つだけど、上半身が刺青だらけだったり、自分で自分を盛り上げるような生活を繰り返しているうちに世間一般の常識を、丸っきり、失いながら精神が凶行という間違った方面に固まってしまったのではないか。


障害者だけを狙ったのなぜかは安楽死を想定した自己劇化の身勝手な正義感に人間性を支配されてしまっていたと考えるしかない。


悪魔の操り人形と呼べば可哀想にせよ、植松聖が相模原障害者施設殺傷事件というやまゆり園で二十六人の死傷者を出した事件は反社会的な自己隠蔽の方法論(悪いのは自分ではない)と独善的な自己劇化の人間性(他人は良くない)に基づいていたかぎり、振り返ってもやはり避けられなかったようだ。


参考:相模原障害者殺傷事件 植松聖(うえまつさとし)の現在と事件概要 障害者施設で殺傷事件 19人死亡

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