松島の海と象徴的に切り離せない父と息子の物語 結城永人 - 2017年7月17日 (月) 七月の第三月曜日は国民の祝日で海の日だ。海というと僕は出かけた経験が殆どないし、記憶も朧そのものなんだ。なぜかはやはり泳げないせいだろう。プールも同じだけれどもいつも縁がなかった。 水辺ならば魚釣りの池や川が余程と好きだったし、振り返って思い出も数知れないくらい良く親しまれていた。 ところが海もとても印象に残っている場面がある 一度だけ出かけた宮城県の松島の海だった。日本三景(松島・天橋立・宮島)に含まれる国内で最も有名な絶景の一つだけれども小学時代の夏休みに父親に連れられて二人だけで訪れた。 遠くまで点在する島々が遥かに霞んで行く光景が幻想的で如何にも不思議だったと覚えている。 秋田県の祖母の家から自宅に帰る途中に車で立ち寄ったんだ 大好きなカブトムシやクワガタムシをバケツに大量に捕って車の後部座席の床に置いて持ち帰るところだったし 、早く帰りたいだけだから困ったけれども父親がどうしても松島の海を僕に見せたくて二人だけの思い出を作ろうとしていたのではないかと後からは考え出した。 心を探れば日常生活で他にも似たような場面は幾つか見付かりそうだけれども何れも特別な気持ちで受け留められるかぎりは父と息子の物語だろう。 映画ならばオーバー・ザ・トップ(監督/主演:シルベスター・スタローン)が真っ先に思い当たる。 腕相撲のチャンピオンを目指して貧乏に息子と共に明るく耐えながら世の中で努力して栄光を勝ち取ってみせる父親の尊敬するべき姿を誇り高く描き出していてド派手な演出が著しく目を引くけれども父と息子の物語が却って非常に分かり易く対照的に心に静かに染みて来るのが素晴らしい映画だと感じる。 松島の海は個人的に父と息子の物語の象徴だ 何もするわけではない。ただいるだけで良いみたいに父親は何もいわないし、僕も同じように黙っている。時の流れを何なのかと問わせるのがおよそ父と息子の物語の特徴だろう。 詩的といえば詩的だし、心が静けさに触れながら世界が風になる。父と息子の物語の他では味わえない。風としての世界の流れが今此処から生まれ出た以来の辿るべき未来をゆったり指し示している。 僕は一人で進んでいかなければならないとすればおよそ父親は人生の道を教えていたはずだ。 小学時代の夏休みで、訪れた松島の海もとても暑かった。車の中に大好きなカブトムシやクワガタムシを冷房を止めたままで置いておくわけには行かなかったはずだ。しかし父親と共に離れざるを得なくて一時間も経たなかったものの戻って来ると完全に暑くて全滅していたのが本当に情けなかった。 振り返ると命の尊さを心から考え込ませる経験にもなっていた 僕はどこにも立ち寄らず、さっさと帰りたかったけれども父親が僕のために松島の海を望んだせいだから複雑な思いに駆られる。 折角のバケツに大量に捕まえたカブトムシやクワガタムシが大好きといいながら心の隙を突かれたに違いない。命の尊さから泣き叫びながら松島の海なんかどうだって良いんだと厳しく抵抗するわけでもなく、父親に連れられるままに取り残して殺してしまったのでは結果的にカブトムシやクワガタムシなんかどうだって良いんだみたいな感じだから人間として正しく示しが付かなかった。 徹して反省せざるを得ない、口だけで終わるような生き方を二度と繰り返してはならないと真夏の車の中で虚しくも完全に暑くて全滅したカブトムシとクワガタムシに違って。 偶々ながら松島の海で父と息子の物語に大好きなカブトムシやクワガタムシの死が重なった経験によって風としての世界という人生の道に本当に必要な心とは何かを学んだ。 自分らしさを大事にしなければ現実に情けない結果を招き兼ねないわけなので、どんな未来を思い描くかは日常生活の言動を含めても嘘偽りのない生き方を選ぶように決めなくてはならない。 コメント 新しい投稿 前の投稿
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