野村克也の有り難い理論~人のぼやきに秘められた謎の力とは何か~ 結城永人 - 2017年1月20日 (金) 日本のプロ野球の監督で名将として名高い野村克也はぼやきが特徴的だった。試合でチームが上手く勝てない、結果が思うように残せないとなると直ぐにぼやく。チームが弱くて選手も良い成績が出せないほどにぼやきながら監督をやっていて次第に全ての状況が変わって行くんだ。 初めて気付いたのは今から二十数年前の僕にとっては青春期も真っ只中の出来事だったけれどもヤクルトスワローズの監督に就任した野村克也が優勝してさらに何年も好成績を収めて行った。 当時、ヤクルトスワローズは物凄く弱かった。日本一はもちろん、リーグでも優勝するなんて全く考えられなかった。たぶん西武ライオンズが別のリーグで物凄く強かったせいではないか。統一戦の日本シリーズで負けたリーグに属しているチームで殆ど勝てないのがヤクルトスワローズだった。なので本当に目も当てられない状態だったと振り返られる。 野村克也がヤクルトスワローズの監督に就任する自体がまさかの衝撃と仰天されてしまった 本日、1990年シーズンから1998年シーズンまでの9シーズン監督を務めていただいた「野村克也氏」の追悼試合を実施いたします|東京ヤクルトスワローズ公式 というのはテレビのプロ野球の解説で非常に活躍していたせいだ。僕は同時代では知らないけれども選手としても野村克也は優秀だった。記録と記憶に残るような名選手の一人だった。引退してテレビのプロ野球の監督をやっていて理論的な話し振りがユニークで、野球そのものが良く分かっている人なのではないかというイメージが湧いて仕様がなかった。 有名なのは野村スコープの発明だろう。投手が打者との対戦でどんな配球を試みるか。実際の配球を画面に球種と位置で順番に記して行くけれども次は何が来るかというのを野村克也が予測しながら攻略を分析して人々に分かり易く伝えていたわけだった。 だから考えると本当にヤクルトスワローズの監督に野村克也が就任するなんてあり得なかった。優勝できないのになぜやるのか。真っ先に疑われても不思議ではないくらいヤクルトスワローズは弱かった、現実に。無駄な努力としか感じられなかった、はっきりいって。 野球そのものが良く分かっている野村克也だからこそ勝ち目のないヤクルトスワローズだけは避けて通るべきだろうみたいに人生の選択としては違和感も甚だしかった。 普通に見れば夢があって素晴らしい。信じられないのは野村克也が理論家だったせいだ。プロ野球でも何でも駄目なものは駄目なままで終わりではないかと思う。理論家にとって重要なのは世界の真偽でしかないだろう。裏返せばそれ以外に囚われて認識そのものには熟達できないかも知れない。結局、野村克也が凄いのはさらに実践家でもあったところで、一つの考え方を生活に取り入れながら向上させられるかどうかも大事にしていたんだ。物事を判断して精神的に喜ぶだけの生き方には満足できなかったのではないか。 1年目には種をまき、2年目には水をやり、3年目には花を咲かせましょう 野村克也/1990年代|東京ヤクルトスワローズ 野村克也はヤクルトスワローズを率いて監督に就任した当初の言葉通りに三年目でリーグ優勝を果たすわけだけれどもぼやきが同時に止まらなかった。 これも驚くというか、普通に考えればだけれども監督がばやいてばかりではチームで見限られた選手もやる気を失くさないか。うんざりして試合も何も投げ出すし、たとえ発奮材料になるとしても直ぐに飽きて結果も空回りしながら勢いは長続きしなさそうだ。 野村克也がぼやきながらヤクルトスワローズを強靭に鍛え上げた実績には謎が秘められていて欠かせない力として働いていたように想像されてしまう。 何かを学ばせる。ぼやきに少しでも向上へのヒントがあれば只の嫌みとは選手には受け取られないし、または本人もぼやきながらアイデアが新しく浮かばないともかぎらないだろう。 重要なのは野村克也が理論家だったからこそぼやきに色々な知見が含まれ得たのではないか 【野村克也氏メモリアル】|東京ヤクルトスワローズ公式 ぼやきが事細かく、的確なほどに功を奏する可能性がぐんぐん増して聞く耳も痛いだけではなくて結果にも上手く繋がればむしろ有り難いと両手を低く差し出して悉く受け取りたくもなると感じる。 ぼやきが人生の難しさを象徴するならば溜め息混じりの虚しさは理想の雪に他ならない。目標が高くて追い付かないだけというか、つまりは現実との落差に気付き過ぎるせいなんだ。望むべきヒントが手に入れば助かるのは目に見えて明らかだし、夢に向かって突き放されるように力及ばないかぎり、参った気持ちをぽろぽろ溢しながらでも着実に歩みを進めるよりも速やかな方法はない。 コメント 新しい投稿 前の投稿
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