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千原ジュニアが明かしたテレビの裏側で冗談ではないくらい不評を買った小池百合子の性格を擁護する

小池百合子の言葉遣いは人々の胸にチクチク刺さるような印象を与える。ある意味では嫌みが込められていて聞くや否や寄せ付けたくないと思われ兼ねない。なぜ口走るのか。総選挙で代表を務めた希望の党の敗因として「排除、致します」と「さらさらありません」が大きく取り沙汰されて本人も謝罪している。いわなくても良いのに止められなかったとすると性格に起因しているはずだ。

全てが良く分かる情報を掴んだ。千原ジュニアビートたけしとテレビ番組に出演してゲストで小池百合子が登場した際に東京都知事として東京オリンピックが開催されるPRで良いバッジと悪いバッジを持って来て二人に一つずつ手渡したらしい。家庭ならば兄弟喧嘩を巻き起こすような感じだけれどもなぜ公平に扱わないのかと気がかりになってしまう。

小池氏は東京オリンピックのマークが入ったバッジを千原とたけしにプレゼントしたという。「すごく立派なバッジと、そうじゃないショボいのがあって、たけしさんには立派なバッジを渡して、『あなたにはこっちね』って(自分にショボい方を)渡したんですよ」と振り返り、「たぶんジョークなんでしょうけど、俺は何も思わなかったけど、それを見てた周りのスタッフは『なんやアレ!』ってすごく怒ってたんですよ。『逆やろ、普通』と。たとえば弱い方にエエやつを渡すか、もしくは同じのを渡すのが政治家ちゃうの?って」と明かした。

以前、ブログで千原ジュニアを取り上げて職場の面白さと楽しさについて気に入った意見を見付けたせいだった。お笑いでいつも下らない話とか馬鹿をやってばかりだとしても人間的には相当に凄いと認めている。彼がいうならば小池百合子の性格についても信用できる情報ではないかと又取り上げたくなってしまった。

テレビの裏側の人たち、すなわち番組のスタッフは二つのバッジをビートたけしと千原ジュニアで不平等に分ける小池百合子は政治家としてなってないみたいな気持ちにさせられてしまった。

確かに国を任せられる性格ではないのは明らかだ。民主主義をちっとも弁えてないのではないか。世の中に良いと人と悪い人がいてどちらかしか助けないのでは冗談にもならない政治家で、少なくとも現代の日本からは時代錯誤も甚だしいといわざるを得ないだろう。かりに総理大臣ならば、即刻、止めて貰わないと生活が苦しくて心からやっていられないと嘆くばかりだ。皆から不評を買うのは正しいに違いない。

普通に考えるとそうなので、千原ジュニアの「俺は何も思わなかった」が非常に不可解に聞こえる。差別主義者を許しているのか。こういう人がいるからいつまで経っても国中の至るところで不幸が絶えないし、例えばいじめはなくならないみたいな感じがして来る。

本当だとすれば僕がブログで千原ジュニアを人間的に相当に凄いと認めているというのも大間違いだから今直ぐに撤回しつつ人々へも謝罪しなくては行けなくなってしまう。

しかし見当が幾らか外れている。千原ジュニアは小池百合子を差別主義者として称えているとまでは断定できなかった。要するに「ジョーク」として受け留めてみると好き嫌いで戦い続ける政治家という時代錯誤でも却って笑ってしまうかも知れないわけで、イメージを結論付ける文脈が合ってないのは否定できない

人間の性格は諸々の言動から捉える対象だとすると多面性が避けられないのは事実なので――中身への想像力が真っ先に問われる――小池百合子は必ずしも政治家に向いてないとはかぎらないのではないか。イメージをはぐらかすように教えてくれた千原ジュニアならばやはり素敵だと誉めたくなる。精神的に立派だし、言葉遣いの真実味が高いのは物事を自分勝手に決め付けない倫理性を持ってなくてはあり得ないだろう。

小池百合子がテレビの裏側で不評を買うのとは別に政治家としての資質があると仮定すると、一体、何が適しているのかを知りたい。

僕は希望の党に期待していたし、新しく立ち上げた代表としての彼女の性格が国を任せるのに相応しくなかったはずはないので、国民に支持されなかった結果と して反対のイメージが膨らんで来るほどに明白に擁護しておくのは大事だとも感じる。

ビートたけしと千原ジュニアのプレゼントでそれぞれのバッジに優劣を付けるのは東京都でオリンピックのために作り出した種類の豊富さを示しているだけなんだ。良いバッジと悪いバッジとはつまり値段が高いか、安いかの違いを表すけれども裕福な人も貧乏な人も東京オリンピックのために買えますよ――東京オリンピック2020のピンバッジを調べると無料配布用と有料販売用/七百円以下から七千円以上までの商品が出ていた――みたいに伝えたいわけだから本当は国民の全てが眼中に入っていて政治家として他の誰よりも気持ち良いとは決して過言ではなかった。

資本主義経済の競争社会では貧富の差をなくすのは極めて困難な課題だし、構造上、企業間に勝ち負けが付き物だから所得を手にする労働者において平均化するのは殆ど不可能に近い。そうした現実を踏まえて小池百合子は真剣に分け隔てなく、千原ジュニアの感想でいえば「すごく立派な」のと「ショボい」のを二つ持って来たはずならば発想そのものが完全に民主主義そのものだったと感心する。

どちらも生きる権利がないわけではないし、気持ちの扱いは公平だから人道上も非の打ち所が見当たらないくらい凄い。

小池百合子はビートたけしと千原ジュニアをどちらの貯金が多いかと密かに比べながら良いバッジと悪いバッジでそれぞれに裕福な人と貧乏な人を代表して貰いたかったのではないか。

もしも千原ジュニアが怒っていたとしたらビートたけしよりも金持ちだったかぎりでしかないような状況だからはっきり分からないにせよ、それぞれの芸能人としての知名度からして一般的に無理だと笑うしかなかったかも知れない。

二人のバッジで優劣を付けるのは貯金額で差別せずに人々の全ての存在を公平に捉えている証拠とすると実際には性格の途方もない良さを示していたんだ。

瀕死の子供を抱き締めるマザー・テレサや地雷源を怯まずに調査するダイアナ元妃と何一つ変わらないし、どちらも惨劇を白日の元に晒してこそ感動的な人間性を体現していたかぎり、もはや小池百合子の人柄も二人に肩を並べるほどに見事なのは疑い得ないし、ただ良いバッジだけ見せびらかしながら悪いバッジを人々のために少しも表に出さなかったとしたら事情は正反対だったはずだと考える。

政治学においては現時点で恐らく誰もが同じで自由に過ごせるわけもなくて多種多様な仕事がなければ国は成り立たないみたいに人それぞれの生き方をしっかり弁えているせいだ。

かりに原始人ならば皆で狩りに出かけて皆で獲物を分け合ったりしながら一緒に生きて一緒に死ぬのが当たり前だったかも知れない。

今は違う、社会の実像がどこかの未開の部族などを除いては。日本では少なくとも色んな人の色んな働きで国は保たれているというのが自然だろう。貧富の差で誰かが落ち込むと調子を崩すかも知れないけれども貯金額が低ければ不快とか無様なんて見下していては助けられはしない。国にとっても経済において生産力が足りないままでは改めて持ち直すような道理はないんだ。

小池百合子の言動は意義深い。擁護するのは、全然、難しくないけど、ところが分かり辛さが付き纏っているのが厄介なんだ。千原ジュニアが明かしたテレビの裏側で冗談ではないくらい不評を買ったのも致し方はないのではないか。プレゼントに優劣を付けて手渡すなんてそれこそ「ジョーク」か、自己中心的に巫山戯ながら争いの種を撒いている愚か者のようにしか感じないのも本当だと認める。

見方によっては傲慢だし、総選挙の「排除、致します」と「さらさらありません」の発言では演説から公に露呈してしまってもいた。

何れも同じで、擁護すればとても美しい世界を表現している。性格が途方もなく良いとすると周りの人たちから声をかけられるままに心を揺るがされてしまいがちだと察せられるんだ。どんな政治家でも人々の全てのために頑張りたいと志すものの選出されてみると一部の企業や団体から自分たちを助けて欲しいと頼まれながら断れないみたいな状況が往々にして出て来てしまう。不味いから止めようとするけれども相手も説得しようと迫り続ける。互いに押し問答を続けている間に適切に受け入れる場合もあったり、悪どい場合には不法に動かされて汚職などで逮捕されるまで卑しさを出すかも知れない。政治家がそんなにふうに腐敗してしまうともはや人々は不公平な現実に全面的に直面せざるを得ないわけだ。だから様々な誘いを不要ならば厳しく突き放せるかどうかは重要で、小池百合子の発言は全く以て隙がないと捉えると信念を称えるしかないだろう。

並外れて強いのが傲慢にも感じる。人間の性格は多面性を持っていて一概には捉えられないので、自分が他人からどう判断されるかは誰にとっても難しい。悲しいほどに肝心なのは中身だし、何が正しいかを決めるのは自分自身の思いだけだ。

小池百合子は応援せずにはいられないという有能な政治家だったから心から反省するにしても進むべき道を変えないで欲しいと祈る。

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