選挙に参加して投票するのは人生経験だ 結城永人 - 2017年10月24日 (火) 総選挙で希望の党に勝って欲しいのに自民党に負けた。なぜかは正しいと思う。政局へのゴタゴタが多かったし。只単に国会の議席が欲しいに過ぎないのでは議員なんて本当に誰でも良いというか、団栗の背比べでしかないだろう。 議員をくじ引きで決めてもきっと同じだ くじ引き by チャオ☆ 細かく見れば人柄によって違うかも知れない。不正が横行する政治よりは何も起こらないのを望む。そして生活が良く変わるならば有り難いはずだから理念や政策を考えながら議員、または政党へ投票するのも面白そうだ。 とはいえ、一人でやっても意向が反映するとはかぎらない。何も変わらない選挙だと思うと気持ちは冷めずにいない。やはりくじ引きと同じではないか。どうにもならず、望みもしない結果を受け入れるしかない悲しみは外れにぴったりだ。 当たっても偶々では選挙に参加しても仕様がないと考える 選挙はくじ引きのイメージから捉えると投票しようにも腰が重くなるばかりだ。 参ってしまう。勝って欲しい議員、または政党が見付からないと難しいのではないか。世の中を見渡しても選挙に参加する人たちの熱気は並々ではないくらい盛り上がっている。未来は明るいと期待する気持ちが根本的には求められると思う。 実際に意向が反映するかどうかを抜きにして議員、または政党を応援したいかぎりは応援するべきだとすると選挙での投票も一つの人生経験なのは間違いなくて教訓を得られるはずだ。 期待してもしなくても結果的に生活が本当に良くなるかどうかを気にかけながら後から又考えればさらに人間的に成長できもする。 選挙の統計で日本の投票率が年々と下がり続けていて低いと知る 国政選挙における投票率の推移 by 総務省 先日の希望の党が負けて自民党が勝った総選挙でも五割くらいの有権者しか投票所へ向かわなかったらしい(投票率53.68%、戦後2番目の低さ 総務省発表)。 民主主義と呼んで良いのかどうかも怪しまれずにいない状況だ。選挙に参加しない人たちの気持ちはどうなるのか。立候補者が汲み取っていれば大丈夫だけど、しかし他の人たちが違っていて積極的に応援するとなると相手にされ難くて不幸が押し寄せて来てしまう。構わないから選挙に参加しない人たちはいるわけだろう(爆弾でも落ちて来るような緊急事態ならば幾ら何でも皆で止めたいと願うのではないか)けれども苦しみの絶えない世の中を想像するともうちょっとでも手を貸す必要があるのも不思議ではない。 ネックなのはだから選挙がくじ引きなんだ 意向が必ずしも反映しないから詰まらないわけなので、終局、勉強として人生経験を積むために投票しないと駄目だと感じる。 生活を良くするために頭を働かせる。政治の理念や政策を覚えても日々の暮らしに直結しなかったり、専門性が高くて付いて行けかったりするから大変にせよ、しかしながら手に入れた知識はもちろんのこと、幸せを求め出した思いだけは紛れもなく役立つ。 夢見て過ごしているのは確かで、将来へ期待する瞬間はとても気持ち良いし、オーラが輝き出せば皆からも愛され易いのではないか。 自分自身と国との関わり合いを、今一度、注意深く見直す機会にもなるわけで、身近な人たちだけでなくて国民の全てを含めた大きな視点から物事を判断してみると現代では人々の繋がりが色んな方面で物凄く多くて普段は分からない助け合いに気付いて感謝したり、または精神的にも新たな閃きを得ながらいつも打つかっていた難しい問題が不意に解けたりするように認識力を養えるのは楽しい。 コメント 新しい投稿 前の投稿
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