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大隈重信は人生百二十五歳説を唱える大器晩成の早稲田大学の総長で日本の総理大臣だった

本当に知らなかったというか、テレビで知恵泉の大隈重信 自分は変えられる 50代からの愛され術を観て驚いた。

早稲田大学の大隈重信の銅像

大隈重信は早稲田大学の創設者として有名だ。調べると精確には前身の東京専門学校の創設者なんだ。その後、日本の私立大学では最も早い段階で、大学令に基づいて早稲田大学に移行した。初代の総長に大隈重信が就任していたけど、歴史上、直接の早稲田大学の創設者というわけではなかったと覚えた。

早稲田大学の前身は、1882(明治15)年10月21日に創設された「東京専門学校」です。

創立者・大隈重信の別邸が東京府南豊島郡早稲田村にあり、また校舎が同郡戸塚村にあったことから「早稲田学校」「戸塚学校」とも呼ばれていましたが、最終的には「東京専門学校」と名付けられました。

1892年頃には、専門学校の別名として「早稲田学校」と呼ばれるようになりました。専門学校から大学への昇格を機に、以後1902年9月2日付で「早稲田大学」と改称しました。

日本の私立大学では慶應義塾大学も早稲田大学と一緒に生まれたらしい。現行の一万円の肖像に採用されている福沢諭吉が創設した蘭学塾が最初で、途中で慶應義塾に改名してから大学令に則って慶應義塾大学に変更された。巷のスポーツで野球やラグビーなどの早慶戦と良く聞かれるのも早稲田大学と慶應義塾大学が大学令に基づく第二次世界大戦以前の旧制大学の黎明期に位置する日本の私立大学として二つだけが結び付けられているせいなんだろう。

以前から早稲田大学の創設者だから大隈重信は勉強好きなのに加えて教育熱心な人だとしか思ってなかった。

大隈重信 自分は変えられる 50代からの愛され術で日本の総理大臣にも就任していたと新しく分かって興味と関心が著しく増した

第八代と第十七代の二回で、早稲田大学の総長の教育熱心な人が総理大臣というのは素晴らしい感じがする。世の中の善悪をしっかり弁えているからきっと汚職しないだろう。民主主義で、一番、大事だと思う。議員が独断と偏見に囚われていてはたとえ当選しても議会に民意が反映しない。汚職しないまでも活躍するとはかぎらないにせよ、どんな場合でも人々のために信念を持つと同時に保って、誠心誠意、貫き通すのが有能な政治家なんだ。

大隈重信が教育熱心な人として学生たちに正々堂々と接するように総理大臣として国民の全てを何よりも不断に重視できると日本が腐敗しないのは確かではないか。

僕は人間の頭の良さを性格の良さからしか捉えないから内面的に優れているかどうかがとても気になる総理大臣に早稲田大学の創設者の大隈重信が就任していたという事実には他でもなく期待感が大きくて凄いと認めた。

和服姿の大隈重信

人生も面白くて五十歳を過ぎて花開いたらしい。四十代までは特色のない状態だった。といっても東京専門学校を新しく発足していたり、国会議員に当選して外務大臣まで任命されたりしていたから世間一般からすると出来過ぎの生活をもう既に満喫していたのかも知れない。只、大隈重信というと早稲田大学の総長と日本の総理大臣こそ生涯を象徴しているかぎり、本当に至らない時期を過ごしていたと受け取る。一人の人間として大器晩成の人生といって良いのではないか。中年以降、老人になってから初めて本格的に活躍し出したし、日本の歴史に大きく名を残すほどの業績を成し遂げていた。

僕がぺーぺーの四十代で、これまで特色の全くない状態を強いられてばかりいるし、よもや五十歳頃からでも世界が変わるかも知れないと想像すると嬉しい気持ちがしてならない。老いてついに大成功を収めた大隈重信と共通点がなければ信憑性が低いけど、ところが意外と見付かるから痛快だとも感じる。

人生の基盤作りは同じだ。大隈重信は早稲田大学の総長と日本の総理大臣の何れもいきなり受け取ったわけではない。何年も東京専門学校と国会議員をやっていて辿り着いている。僕も作家活動を、二十年以上、やっている。プロとして大成功を収められれば良いと思うし、もはや老人でも構わないから大隈重信のように大器晩成の人生で何とかならないかと願って止まないわけだ。

しかし衝撃的なのは考え方も似ていた。僕は作家活動を力強く続けるために健康を研究しているし、若いままに報われないから仕様がないにせよ、かりに年を取って人気者になるとすれば先ず以て長生きしなくては無理なので、作家として大成功を収めるためにも確実に元気に過ごせるように努めている。気付くと大隈重信は人生百二十五歳説を唱えていて健康と長生きを物凄く尊重していた。

日本の幕末から明治、大正時代にかけておよそ「人生五十年」という中年止まりの平均寿命が一般的だったはずながら大隈重信の人生百二十五歳説の考え方は三倍に近い長生きを目指していたのが常識破りだし、いやはや突拍子もない日本人だったと腰を抜かす。

当時の生理学から生物は成熟期の五倍の寿命を持つと知って人間の場合は二十五歳として百二十五歳まで元気だと着想したみたいだ

二十一世紀序盤の現時点で、人類の最長寿記録としてはジャンヌ・カルマンの百二十二歳(と百六十四日)が挙げられるようだ。生年月日がはっきりしていて1875年2月21日から始まって亡くなったのは1997年の8月4日までという生涯だから真実味が高い。

大隈重信の人生百二十五歳説は殆ど符合しているようだ。長生きでも百二十歳を確実に越えたのはジャンヌ・カルマンだけで、百二十五歳まで達するのは相当に厳しそうだ。人間にとって本当に寿命の限界を示しているのかも知れない。

肉体を支配する精神、例えば肉体が健全であっても勇気のない者は病気であるー意思の力の閃きが絶えず五体を支配して自己と言う精神が生々して来れば、必ず肉体はこれによって支配される。勇気、反抗力、活動、この三カ条を補うに適当なる摂生を以てすれば、必ずしも人生僅か五十年というような情けない弱音を吐く必要はない。

エピソード 大隈重信 125話(奥島孝康、中村尚美監修)

大隈重信は生理学の知見に精神論を独自に付け加えて長生きに取り組んでいた。肝心なのは「勇気」と「反抗力」と「活動」で、そうした気持ちが元気でなければ肉体も衰えると注意していた。言葉遣いがちょっと分かり難い。健康から推測すると「勇気」は未来への希望で、「反抗力」は落ち込まない積極性で、「活動」は常日頃の新鮮さならば長生きに役立つはずだ。それ自体でも素晴らしくて誰もが心理的なストレスを軽減するほどの知恵だろうけれども彼自身の生き方を反映しているところが殊更に興味深い。人間は希望がないと一生懸命に努力しないし、積極性がないと悲しみに弱るばかりだし、新鮮さがないと呆れてどうでも構わないように生きている。なので健康について「勇気」と「反抗力」と「活動」が必要というのは目標実現の基本的な認識として理に適っていると感心する。もはや頑張れば老いるままに終わりではなくて人生百二十五歳説の長生きを果たせると大隈重信は本気で捉えていたんだ。

大隈重信の護国寺の墓

八十三歳で亡くなった、想定されるよりも短く。生前は人生百二十五歳説を知るのが十分に間に合わなかったし――初めて気付いたのは七十歳頃だったらしい――日々の長生きへの取り組みが遅れたのを悔やんでいたらしい。僕も同感だし、若いうちから向かうに越さないと頷く。老いは自然の摂理だから避けられないかぎり、アンチエイジングで少しでも早く食い止めようとする若返りの試みが寿命を伸ばすのには非常に有利だと考えている。

大隈重信は「人生五十年」といわれる時代に享年八十三ならば長生きを果たしたのは間違いにせよ、本望において失敗せざるを得なかった部分は人生の鏡として参考になるし、個人的に肝に銘じながら最大限の長寿を手に入れるべく頑張りたい。

知恵泉ではジャパネットたかたのユニークな商品説明で一世を風靡した高田明がゲストで出ていて大隈重信は演説/スピーチが、人一倍、巧みだったと取り上げられていた。

五十年を過ぎて早稲田大学の総長と日本の総理大臣と大器晩成の人生を迎えたのは自分勝手な振る舞いを改めて皆のために尽力したのが切欠かも知れない。

外務大臣をやっていて日本と諸外国との不平等条約を改正しようとしたら反対派の来島恒喜から爆撃されて右脚を完全に切断するほどの大怪我を追わされた。不平等条約の撤廃は良かったけれども大審院(現最高裁判所)に外国人判事を任用するとか欧米流の法典編纂を約束するなんて交換条件を提示する交渉内容が不味かったらしい。国の機密事項で進められていたもののイギリスの新聞のタイムズから人々に発覚して日本の司法権が脅かされる、さらに当時の憲法:大日本帝国憲法の「文部官任用条項」(第十九条)に抵触して「裁判官による裁判を受ける権利」(第二十四条)が侵害されると激しく非難され出してしまった。

大隈重信が何もかも一人でやっているわけではなかったにせよ、黒田内閣に託された外務大臣として反対派に激しく非難されつつも不平等条約を改正するべきだと断行するつもりでいたので、物事を性急にまたは強引に考え過ぎていたみたいだ。

右脚を完全に切断した大怪我の翌年、1890年の7月1日に日本で初めて開かれた衆議院議員選挙の帝国議会議員選挙では立憲改進党の党首として参加したものの四十一議席の第三党に惨敗したし、本人は当選しながら政治家として孤立を深めるに至って人生の窮地に追い込まれて行ったといわれる。

そして人間的に生まれ変わったんだ。身勝手な言動を控えて皆の意見に耳を傾けて生きるのが良かった。以前よりも人気者になるし、演説/スピーチも上達し始めたらしい。

  • 始めはゆっくりで徐々に速める
  • 聴衆の目を見て沈黙を読み取る
  • 明確な目的を持って臨む
  • 場数を多く踏んで慣れる

大隈重信の演説/スピーチには人々を引き付ける要素が見付かると大隈重信 自分は変えられる 50代からの愛され術で指摘されていた。

分けてもゲストの高田明が本当に伝えたい気持ちがあれば人々へ訴える声に自然に熱が入るみたいに捉えていたのが面白かった

自己表現の全てに当て嵌まるのではないか。本当に伝えたい気持ちから率直に自己表現を行えば声だけではなくて何でも皆に分かって貰い易くなりそうだ。僕にとっては作家活動の言葉遣いなどに取り入れたいというか、本当に伝えたい気持ちがないわけではないけれども自己表現にちゃんと出し切るためには諸々の迷いを裁ちきらなくてはならないと感じる。何かに付けて卑下したり、尊大したりしては厳しい、努めて励んでも恐らく。

本当に伝えたい気持ちは平静の立場から打ち出さないと誰にも必要十分に受け取られないのではないか。

大隈重信の老いてから早稲田大学の総長と日本の総理大臣だった大器晩成の人生は人生百二十五歳説の長生きへの本気の思いを含めて偉く惹かれるし、いつか同じように大成功を収めるなんて現世では許されない生活だけが真実だとしても最後の最後まで諦めずに張り切って生き抜くのが自分らしいと気付かされる。

参考:人生125歳説 条約改正 第1回衆議院議員総選挙 立憲改進党

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