やりすぎ都市伝説の「信じるか信じないかはあなた次第です」のフレーズが耳に残って離れない関暁夫だけど 結城永人 - 2017年7月3日 (月) 二回くらいしか観てなくてもっと観たいと待っていたテレビ番組が「信じるか信じないかはあなた次第です」のフレーズが耳に残って離れないやり過ぎ都市伝説(元々はやりすぎコージーの中の芸人都市伝説)だった。流石にもうそろそろパターンが掴めて来たし、飽きてしまった感じもしないでもなく、昨日、三回目を観ていたんだ。 面白いのは何といっても関暁夫の特別取材のコーナーだ 海外で専門家を交えた大掛かりな様子が情報の確かさを煽っているのが唸らされる。 従来ならば本当かどうかが余程と問われていたはずで、取り分けノストラダムスの大予言が二十世紀末に多く取り沙汰されてどっちなのかと感じながらテレビを観ていた。世界滅亡説がありながら二十一世紀に何事もなく、移行してしまった後で、もう終わりではないかと考えた、人々を巻き込んだリアルなオカルトというテーマは。 UFO(未確認飛行物体)とかUMA(未確認生物)なんて他の様々なテーマの謎めきもそうで、人間にとって根本的には精神の闇を反映しているといって良いと思うし、常日頃の不穏な気持ち、すなわち存在の不確かな危うさから生み出される空想上の産物なんだろう。 人類の科学が発展するほどに謎めきの世界そのものが薄らいでいるようで、または超常現象と纏められるかも知れない、身の周りで手品でも何でも昔よりも驚かなくなっている。見聞されて理由は必ずしも呑み込まれないにせよ、何かがあってそうなるんだという論法から抽象的に通り抜けるのは容易い。どうしても気にならざるを得ない人たちだけが専門的に追求して詳しく紐解いて行く世の中が優勢的に認められる。 関暁夫はやりすぎ都市伝説で初めて知ったけれども正しく今風の求道者の印象を与える。リアルなオカルトの専門家として新しい存在なのが引き付けられる。決め台詞の「信じるか信じないかはあなた次第です」がはっきり示しているように本当かどうかはもはや重要ではない。気になる人だけが追いかける世界なんだと考えると格好良いとも過言ではないし、リアルなオカルトとは何かを正しく捉えるように生きているに違いないだろう。 やりすぎ都市伝説を観ていて最も謎めいて受け取るのは関暁夫で、一体、どんな人なのかが興味深いし、真っ先に考えたくならせる。テーマが注目されるのはもちろんながら三度目の正直のせいか、番組のパターンも掴めたし、目移りするところで、本当に関暁夫の来歴を知りたいし、リアルなオカルトを求めるキャラクターを調べてしまう。 Mr.都市伝説 関暁夫、またはスティーブン・セキルバーグ 関暁夫の正式な芸名は「Mr.都市伝説 関暁夫」と「スティーブン・セキルバーグ」らしい。二つを使い分けているのが如何にも謎めきを味わわせる。基本的には前者だけれども都市伝説の語り手としては後者が前面に出される。 解読不可能な暗合の装いが「スティーブン・セキルバーグ」には「Mr.都市伝説 関暁夫」よりも強いのではないか。リアルなオカルトの雰囲気を盛り上げてくれる演出かも知れないけど、ただし日本人にとっては反対だと思うし、本人もたぶん分かってやっているとすると本当に何だろうと首を傾げてしまう。只単に余計な芸名で、「スティーブン・セキルバーグ」は要らないのではないか。人々に混乱を与え兼ねない部分で疎まれる危険性が高いし、関暁夫は芸能人として仕事を失うかも知れない。 考えると好きだから使っている。自分が「スティーブン・セキルバーグ」という響きが気に入っていてSFを思わせるし――どこからともなく地球に計らずも辿り着いてしまった人みたいなイメージを持たせる――都市伝説を始めとして世の中のミステリーを欲しがる身の上に相応しくて自分らしさのために必要なんだろう。 人々に分かり難くて嫌われそうでもやってしまうならば芸能人として本当に凄い生き方だ。がむしゃらとしか呼べないし、尊敬できると思う。自分が好きなことは誰が何といおうと止めないという意思の強さの現れとして素晴らしいと評価したくなる。社会で見習うべき点が間違なくあるわけで、自分以外の周りの皆に合わせるだけで良いかどうか、僕ならばたぶんきっと幸せにはなれないはずだから関暁夫の別名の付け方は人生で参考にしたい。 素敵だと実感したのは ホームページのアドレスに英字で「sekielberg」(セキルバーグ)と入っている。どれだけ愛着を抱えているのかと衝撃的な喜びを避けられなかった。タイトルはメインの名前で、Mr.都市伝説 関暁夫だからアドレスのURLも英字で同じにすれば分かり易くて良いのにわざわざ変えつつもただしホームページを二つに分けたりはしないで、やっているんだ。 物凄い謎めきに触れさせると驚く。本人は一人しかいないという発想のホームページのデザインではないか。格好良い。皆の期待に応えながら ミステリーを感じるように巧く作られているけど、コンセプトが卓越していた。見た目はMr.都市伝説 関暁夫でしかないもののサイトそのものにスティーブン・セキルバーグが打ち込まれているので、好きな気持ちから全てを包み込むと想像される。さらに本人が本人でしかない個性が結び付くとなるとホームページから自己表現の潔さを受け取らすにいられない。完成度が娯楽として嬉しいだけではなくて芸術的にも高いはずだし、まさか美しい。 好きな気持ちでがむしゃに生きると感じる関暁夫の来歴 関暁夫の別名のスティーブン・セキルバーグの思いは来歴と見事に符号している。好きな気持ちでがむしゃらに生きると感じるけど、関暁夫は本当に都市伝説などの世の中のミステリーに人生を懸けていた。 どこかで見たような顔だった、最初から。調べると芸能界に入った切欠がお笑いへの目覚めで、吉本芸能総合学院からデビューしたのもハローバイバイという金成公信とのお笑いコンビだった。なのでテレビに出ていたのをやりすぎ都市伝説よりも前に全く観てなかったとはかぎらないと考えた。 現在ではハローバイバイは解散した。デビューして暫くしてからお笑いコンビで売れなくなって関暁夫は芸能界を引退するところで追い詰められたらしい。そこで最後の思いを打ち出しておくつもりで、自分が本当にやりたかったというか、常々、引き付けられて止まないミステリーの世界を全面的に取り上げて芸能活動を始めるようになった。 するとブレイクして人気を得られたから都市伝説の語り手として現在に至るまで芸能界を去らずに済んだみたいだ。 凄いし、素晴らしいと胸が震える、知って感動の余りか。率直に好きな気持ちで人生に成功するという実例がMr.都市伝説 関暁夫、またはスティーブン・セキルバーグに示されていたんだ。他人事ではなく嬉しいし、望ましい社会の在り方を掴んで微笑ましいかぎりの来歴だと思う。 自分にとって必要な何かを職業として生計を立てられる。現時点で僕が目指している生き方と全く同じではないか。作家活動で貯金を増やしたいんだ。プロデビューはサイト広告が収入源だからホームページやブログのアクセスアップに勤しんでいる。 好きな気持ちでがむしゃらに生きるならば僕自身が何一つ変わらないから関暁夫を成功例として認めるかぎりは意欲的に学ばないと勿体なさそうだ。 人々も心から頑張っている、または気持ち良く励んでいる、あるいは魂から邁進しているとなるとそうした相手が見逃せなくて応援せずにいられないように手を貸すと想像される。 本当は分からないので、誰でも好きな気持ちで上手く行くのが人生ではないはずだし、翻って思いのままに奇跡が起きるかどうかこそミステリーそのものだと受け留めざるを得ない。 ニュースで観た、俺は小説家なんだというホームレスを。公園の慈善団体の炊き出しに参加していてテレビのインタビューに幾らか照れつつも自分だけの言葉を放っていた。貧しくとも好きな気持ちで生きているのが良く分かって感動を覚えたのは間違いなかったにせよ、同じように作家としてホームレスになるという将来は僕にとって余りに耐え難くてむしろ先に自殺してしまっているのではないだろうかと懸念された。 何としても衣食住の外側には立ちたくない。しかしながら裕福な生活のために好きな気持ちを切り捨てるわけにも行かないのがまさか厳しい。 関暁夫が得意な方面で生き抜いたから自己表現で見習うと他では探し出せないパフォーマンスが大事なので、好きな気持ちが人間的な魅力に繋がるような仕方が求められると考える。いい換えれば個性だけれども人々が気に入るかどうかで左右されてしまう人気のためには独自の良さが必要だろう。 関暁夫は突出したパフォーマンスで個性を羽搏かせるような自由を身に付けながら人生で成功を掴んだんだ。 やりすぎ都市伝説の耳に残って離れない「信じるか信じないかはあなた次第です」のフレーズが象徴的で、自己表現のオリジナリティーを明らかに感じさせて止まない。 参考サイトやりすぎ都市伝説関暁夫 コメント 新しい投稿 前の投稿
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