西田ひかるのデビュー当時の最高に素晴らしかった輝きへ

25th Anniversary 西田ひかる〜あれもこれも PV Collection〜 via ponycanyon

西田ひかる二十五周年記念の動画を見付けて出だしから聴こえて来たデビュー曲のフィフティーンと十五歳だった当時の無邪気な素振りの映像に大変な懐かしみを覚えてしまった。


本当に超大好きだった。たぶん心から引き付けられた最初のアイドル歌手だったかも知れない。個人的には二曲目のNice-catch!から「何だろう、この人は」と完全に嵌まった。高校時代、良さが分からないままに何も感じないようにただただ追いかけずにいらなくなるなんて稀有な経験だったと振り返る。


気付いたらCDアルバムのClearとビデオと写真集で同名のP-CAN ISLANDの三点セットを造作なく買い込んでいた。


十年後のお宝ブームで写真集のP-CAN ISLANDに八万円までプレミアが付いて、当時、極貧でどうしようもなくて専門店に売りに行ったら五万円くらい手にして相当に助かった思い出が西田ひかるには飛び出すけど、CDアルバムのClearも中古で普通に出してしまって最後まで持っていたのはビデオのP-CAN ISLANDで、三点セットで最も気に入っていたもののいつの間にか他のビデオと一緒に捨ててしまったかも知れない。


いつか語り草になりそうで、自分の中で今正しくそうしたかつての予感が成し遂げられる瞬間が訪れているから本当に驚くにせよ、持って入ればしっかり触れられるはずだった。


ビデオデッキが壊れて時代もDVDプレーヤーに変わっために昔のビデオを機材を揃えて再び観るのも厄介だから心に刻まれた記憶だけを求めながら手放すのは致し方がないと考えた。


かりにビデオを観なくても人生の宝物として持っていても良かったかも知れないけど、三十歳頃には全く思い付かなくて暫くして素晴らしい人が残してくれたアメリカ土産から確信するまでは記憶を心に刻むという生き方に夢中になっていた。


個人的には正しかったと思う。記憶を心に刻むという生き方が身に付いてなかったら何かを身近に手放さずに持っていても人生の宝物へは必ずしも及び付かないはずだ。偶然に残っているのでは捨てるのが面倒臭いだけかも知れない。自分で自分に示しが付かないし、気持ちもあやふやなままだから全ては世界に定まって来難いんだ。


ある意味、西田ひかるのビデオのP-CAN ISLANDは心に刻まれる記憶の突端として比類なく受け留められるから又別の語り草とも過言ではないだろう。


心から超大好きだったわけだから実物のビデオや何かの物質的な状況を越えてしまうような真実を齎すとしても不思議ではなかった。


デビュー当時、西田ひかるは最高に素晴らしかったせいだ、なぜかと問うと。


ショートのヘアスタイルでボーイシュでスポーティーなイメージで出て来たけれども根っからの明るさが極めて魅力的だった。やおらNice-catch!で目覚めながらCDアルバムとビデオと写真集の三点セットを手に入れた後からは何でも知らなくて気が済まないみたいに自然に追いかけ始めていたのではないか。思い返しても言葉という言葉は特別には見出だせないと感じる。


当初、アイドルとして巷で大人気というわけではなかったし、知名度はさほどなかったので、メディアで見かけるのも数少なくて貴重だった。


いつも追いかけていて最も印象深かったのは鶴ちゃんのプッツン5(テレビ)のレギュラー出演で、西田ひかるが土曜日の夕方から確実に観られるのがとても嬉しくて有り難かったんだ。


愛の劇場という俳優として実演で特訓を行うという専用のコーナーが設けられていた。名前が似ていたもう一人のアイドルの石田ひかりと西田ひかるの二人で「リーとルー」と呼ばれながら短時間のドラマに取り組んで披露していた。司会の片岡鶴太郎とさらに映画評論家の小森のおばちゃま(小森和子)も招かれていてそれぞれの演技に意見を放ちながら笑いと共に成長を促すみたいな感じだった。


西田ひかるはアメリカからの帰国子女で英語が得意なのはチャームポイントだったけど、しかしながら日本語が良く分からないところが愛の劇場でも台詞が上手く行かなくて叩かれたりしていた。事ある毎に日本語を勉強しているというのが物凄く真面目だと感心しながら観ていた。


取り分け諺が好きらしくて心に響いた。僕も小学時代にドラえもんの諺辞典を開きながら様々な諺を覚えるのが好きだったから同じだと知って親近感も同時に湧いて来た。


考えると日本語を勉強するために諺から入るというのは感性的に生きている証拠だろう、きっと。諺は人生の教えだけれども言葉の意味を感じ取らせるのに役立つ。だから西田ひかるは芸術性や発想力に富んでいる可能性も大きいのかも知れない。


アイドルのデビュー当時のイメージはショートのヘアスタイルでボーイシュでスポーティーだったけれども実際には感性的に生きているために言動の全てがそのままよりもずれていてお洒落に見えてしまうところが個性的な特徴で、僕にとっては根っからの明るさの人柄も最高に素晴らしかっただけでなくてスーパースターの輝きを放っていた所以だと今現在では認められる。


しかし世の中には遅々と受け入れられなくて芸能界からいつか消えてしまうかも知れないと悩ましく思ってもいた。


すると髪を伸ばすように変わってデビュー当時の最高に素晴らしかった輝きのスタイルが失われるし、心から超大好きだったイメージに合わなくてアイドルとしてもはや詰まらないと西田ひかるへは見向きもしなくなってしまった。


思い出の中に生きているみたいな状態からテレビや雑誌で偶に見かけると消え去らずに芸能界でまだやっていると淋しくも嬉しいという不如意な気持ちにさせられるばかりだった。


十九歳のロングのヘアスタイルが定着した頃になってドラマのデパート!夏物語の出演と主題歌のときめいてから知名度ががっと上がるのを感じた。


アイドルとして僕を含めて一部の男性陣に持てていたところから世間一般に芸能人として受け入られ出すのではないか。芸能界からいつか消えてしまうかも知れない不安感が相当に薄らいで来たんだ。


デビュー当時の最高に素晴らしかった輝きからすると裏悲しい思いも個人的に避けられなかったものの西田ひかるが新しいスタイルでイメージを自分らしく作り出して芸能界に残るつもりならば黙って見守るしかなさそうだった。


決定的なのがきっと愛があるの大ヒットだろう。エアコンの霧ヶ峰(三菱)のCDソングで使われて本人も出演していたけれども「あるある・る・る」のフレーズのインパクトが非常に大きくて国民的な人気を博したと思ったし、西田ひかるは誰でも知っているような著名な芸能人の仲間入りを果たした瞬間だったと僕は記憶している。


それから結婚して子供ができていつしか髪型がデビュー当時の最高に素晴らしかった輝きと似た感じに戻って来たのが昔馴染みのファンという僕には不思議な感慨を抱かせもするんだ。


大分、年を取っているけど、ただし十代の面影は綺麗に残されていてショートのヘアスタイルは似合わないわけではないし、若作りの巧みさからすればファッションブランドのFOREVER 21もさならがにお洒落な感じが却って増してないともかぎらないから西田ひかるは感性的に生きているためにやはり素敵に成長したのではないかと受け取っている。


二度と帰って来ない日々が夢見られるのがとても嬉しい。正しく心から超大好きだったアイドルがいたからこそ味わえる世界なのも本当に面白い。人生を共に歩むのは決して身近な人たちばかりではなかったはずで、感じ入るほどに詩的な趣きが漂っている。いうまでもないかも知れないながら完全に嵌まった思いが年月を越えてずっと続いているせいだ。

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