竹内結子がInstagramを開設した。観に行ったら写真は二枚しか載ってなかった。芸能人というか、分けても大人気のスター俳優だから写真を数え切れないくらい持っていて百枚くらいいきなりどばっと載せているのかも知れないと少しだけ密かに期待したのとは正反対の結果だった。
本当に開設したばかりという初々しいばかりの竹内結子のInstagramの様子だった
写真は開設して早々と載せたのが最低限の一枚ではなかっただけでも偉いみたいな印象を与えた。
不思議な感じがする。普通の人と、全然、変わらない。泣けて来る、考えると。またはソーシャルメディアやウェブサイトのインターネットの活動に慣れてないのではないか。写真の仕上がりは流石に何百万円のカメラを使っているはずだし――撮影したのは本人とはかぎらない――世間一般では大金持ちか、カメラのマニアしか手が届かない水準の非常に優れた画質だと唸るにせよ、パッと見ると分からないから本当に不思議な感じがする。
少しずつやって行くところだと色々と覚えながらInstagramを着実に身に付けるスタートラインに立っている竹内結子が素敵な雰囲気に包まれていると初々ばかりの趣きと共に想像されてならない。
最初の一枚が物凄くインパクトがあって後ろ向きで鏡に顔を写して写真に収めている
ベラスケスの鏡のヴィーナスと共通の仕掛けで、まさか世界の名画を気取っているかどうかは写真家に聞いてみないと定かではないにせよ、素敵な雰囲気だからパロディーとして笑わせるのが一番に狙われてるとは必ずしも推し量れなさそうだ、面白いと一瞬にして目を引くような写真なのは間違いない。
気持ちはお洒落だ。竹内結子は俳優として大人気のスターなのと少しも変わらず、素敵だと黙して語らず、如何にも写真らしく、目から光のイメージのみを通じて胸に訴えかけて来るのは凄いけど、とにかく一言ではお洒落に尽きる感じで、他の気持ちが追い付かないから驚きは大きいながら静かだ。
竹内結子のInstagramは素敵な雰囲気に包まれているけれども案外と遅れて気付かれる。人によって気持ちから捉えてお洒落なのは素敵なためでしかないと瞬く間に思うかも知れない世界なので、断言するのは控えるにせよ、不思議な写真なのは間違いないはずだろう。
見た瞬間に何なんだと惑わせながら魅せてしまうなんて魅惑の芸術に他ならない最初の一枚ではないか
竹内結子のInstagramにしてはちょっとだけずれている。スター俳優の素敵な雰囲気がお洒落な気持ちにはぐらかされる。笑いが微かに溢れるのはいつかどこかで見たような既視感との愉快な擦り合わせのせいとは強ちかぎらなくてユニークなためだ。
人柄が出ていると考えて良い。テレビのバラエティー番組で偶に見かけるとドラマの役柄にはない一面に驚かされる。自然な明るさを持っている人ではないか。柄は相当に良い。僕なんか身の回りを見渡せば普通だけど、そうした人柄の良さが自然な明るさに支えられているのが個性だろう。
感じると有り難い理解者にそっくりだ。笑いを好むというか、人生で期待しているようで、だから最初の一枚のInstagramの竹内結子の鏡の中の表情を見ると個人的に懐かしい。きょとんとしてそうで、心なしか、わっほいとするみたいな風采が漂ってないか。世界に喜びが透けて見える。または仄かに聞こえるけど、妙用なポーズを取っていて僕が有り難い理解者と呼ぶのはかつて一人だけだったし、やってみせられる人柄は数少ないよね。
写真そのものは運命を予感させる、茶色が生きていて。Instagramを始めたせいならば本当にぴったりの竹内結子だと思う。上手い、芸術的に。人々の気持ちを引き寄せる美しさを学ぶのは吝かではないのではないか。スター俳優と世の中で大人気の秘訣が余すところなく、存分に出ている仕上がりのようだ。最初の一枚に力を込め捲っているとするとやはり第一印象を大事にするべきなんだろう。
茶色が生きていて運命を予感させるのはなぜかというと血脈のポエジーのせいなんだ
自分に必要な生き方を味わわせるためだ。人生に道を気持ち良く作り出すように大地に染み込んで行く風合いから土と混ざり合って茶色が赤い血の人間にとって運命に相応しいと感じるんだ。
竹内結子のInstagramは本当に良いと思う。最初の一枚が抜群に引き付けられる。ずっと消さないで欲しいと願いたくなる、素晴らしさを知るほどに。
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