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サイト運営を長続きさせたければデザインとコンテンツこそ無料でも欠かせない

朝からブログのアクセスが十人を越えていたから非常に嬉しくてブログでも良いけれども急ぎたければGoogle+にいつもよりも早く気持ちを載せておこうかと考えたのに何もかも失意に終わった。


迷惑メールが来ていた、ホームページにブログにはメールボックスを置いてないせいで、ブログについて。


共有ボタンを下の方に置いていて誰も気付かないようだけど、上のリンクには流石に気付いて貰えるようで、ブログからホームページへやって来る人も徐々に現れている。


素晴らしいことだと思う。ブログを見て僕ならば気に入らないとホームページまでは行かない。面白いからこそ他のサイトも知ってみたくなるわけなので、そういったところからも些細な日常のアクセスが将来的に伸びる可能性は否定できなくて努力する甲斐もあると認められて来るんだ。止めてしまうには惜しいはずだ、まさか。


僕はサイト運営で迷惑メールは殆ど受け取ってない。何かの宣伝は別として十数年で数えるほどしか来てないんだ。サイトや作品の人気のなさとも繋がるかも知れないけれども気が付くと訪問者を選んでいた。デザインによって来る人と来ない人を振り分けることが可能なんだ。つまりは訪問者が素通りするか、しないかを自分自身で決められるという。


迷惑メールを避けるためにはページをあらゆる面で矛盾させてはならない。デザインの論理的な完全性が強いほどに打ち負かされないというのも妙だけれども迷惑メールを送り付ける心理と大きく関わっている。気に入らないと思われずに済むとすれば矛盾したデザインのページは不用意に付け入る隙を与えしまうことに等しかった。


僕は迷惑メールは欲しくないし、芸術/創作活動の邪魔にしかならないので、命懸けで死に物狂いでやっているにも拘わらず、何一つ理解されない世の中の下らなさには心底と死にたいとしかいいようがない、なのでデザインも完璧に仕上げて迷惑メールは寄せ付けないように努めている。


考えればスマホのウェブからだとブログの最上段が少し長くなっていてデザインが崩れていた。これが原因だろう、端的にいって。デフォルトのモバイルテーマに変えてしまえば直ぐにでも直せるけど、しかしながら追加したデザインが出なくなるのも耐えられなさそうなので、個人的には控えたくなる。


以前、ランク・アートでも一回だけ同じような迷惑メールがあった。無視するしかなかった、余りに頓珍漢な内容だったので。ただしランク・アートは手探りみたいな感じで、初めてのランキング・サイトだったせいか、デザインに苦労しながら次々と変え続けているうちに自分こそ失敗を犯してしまった。笑い種でしかあるまい。


デザインが矛盾していると迷惑メールは来易いし、肝心なのはコンセプトに合ったスタイルが見られるかどうか、アクセスが伸びれば来なくて良い人も認知度で来てしまって只でさえもサイト運営が危なくなるのは間違いないとすれば用心深く作り上げなくてはならないだろう。


ブログのスマホでの最上段のずれは若干でも甚だ悩まされる。どうにも直せないので、何とか直せるような方法を考えて行くつもりにせよ、このままでは迷惑メールが来ても仕様がないという不愉快さに苛まれ続けるしかない。


デザインそのものが損われているわけではないから偶々の災い(何か変ならば僅かに痛い)と考えながらさほど苦にせずにやって行きたいとは思っている。


ところでGoogleアドセンスのサイト広告を使い出してからは無料で提供するのは悲しいようなコンテンツでもジャンジャン出すように変わった。未公開だった詩集の幾つかも本当は出版して印税を得るためにホームページへは出し惜しみしていた。有料でなければ駄目なわけなので、訪問者には告げておいても良いかも知れない。


サイト広告でプロデビューというけど、それはそれだけの意味合いではない。有料でしか提供してはならない、天恵に鑑みて人々を造作なく甘やかすわけには行かない心意気ともいえるし、手間なしでは納得されなかったコンテンツを商品化せずにどうやって提供して行くかが最大の関心事だった。


なので無料だから良いと皆には思われたくない。実質上は有料なのにサイト広告によって無料で提供され得たコンテンツだと思って貰わないと僕は困らざるを得ない、正しく。


些細な日常もたとえ信じられなくても中身こそ無料では価値観が薄いんだ。


僕は皆を幸せにするために記事を載せているというと誰にでもできそうだし、やっている人も他に幾らでもいるはずだろう。それこそなぜ僕だけが有料といい張るのか、迷妄ならば自己愛の余りと揶揄されるまでにも、天使よ。技が潜んでいる、手っ取り早く伝えればプロの技が――。


何でもないような日記帳かも知れない。ところが皆は気付かないうちに幸せを感じてしまうように仕向けられたブログなんだ。些細な日常に一瞬でも足を踏み入れた後で、良いことがあったら君はその生活を切り放して腑に落ちると考えるだろうか、通り過ぎた僕と。気付かれなくても構わないかぎり、もはや分かって貰えなくても何もいわないけど、むしろ分かる人にだけいっておきたいのは僕も君と同じように幸せを感じるほどの気持ちがあるんだ。


作家・詩人の手の内を明かすのは大変だし、所謂、プロの技が実際的にどのような形で成し遂げられているかは訪問者の知見に任せる以外にないだろう。設計図として無敵計算をオススメするくらいしか僕には思い付かない。これも作文については取り上げてなくて重要なのは人の心持ちだとしか教えられ得ない。または心持ちもあるにせよ、青春期の思い出に近い言葉遣いだから作文へはさらにもっと遠くなるはずだし、参考程度に止めるべきだと断っておきたいと考える。


世の中は数知れない原因から作動している。僕にとっても全てを掌握することは著しく厳しいし、さもなければ今直ぐにブログのアクセスを膨大に伸ばすこともできたかも知れない。求めても無駄だから真実と呼ぶ他はない……。


本質的には僕の中に少ないアクセスを望んでいる部分が残されているためだろう。喜びにおいては生きたいように生きさせてくれるのが神様の知恵だし、少ないアクセスに自殺しない内面性からすればそれが激しく必要なのかどうかは訝らざるを得ない、僕にとっては。


先程、触れたけど、アクセスが膨大に伸びると来なくて良い人も認知度で来るように変わるはずだからサイト運営が危なくて続けられなくなるかも知れない。


人との出会いは悪意があるよりも好意がない方が恐ろしいと僕は感じる。悲しみが引き伸ばされ兼ねない。苛めなんか諸にそうだ。遊び半分で、皆、殺されている。犯人が逮捕されても十分に反省できないのは当たり前なので、好意がないと人間関係が曖昧に受け取られてしまうし、乗り物でなくても誰もが不慮の事故を被り易くなるんだ。


しかしデザインを上手くやればサイト運営で訪問者を来て良い(と思われる印象を与える)かどうかと篩にかけることはできるし、Google検索から来る人が多ければコンテンツのキーワードを調節しながらアクセスの趣向をコントロールすることもできるわけなので、尚一層と望むところの今現在ではないかしら。心境は至って元気だ、可笑しいくらい。将来へ期待し捲りの喜びをかけがえもなく味わっている。

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