二月は一年で最も寒い月だと聞いた 結城永人 - 2017年2月10日 (金) 昨日は寒さの余り、家から一歩も外へは出たくなかった。用事があったのに明日へ全て持ち越しだと思った。願われの今日の気温はどうか。朝から溶けて消えていたはずの雪が又増えて昨日と同じような感じは残っているにせよ、空が少し明るいようで、日中はきっともっと益しだろう。用事が何とか済ませられそうだ、日頃の買い物だけど、とにかくも。 以前、二月は一年で最も寒い月だと聞いて過ごし方への気構えが変わった。八月が夏にそうなのと違って全く考えずに生きて来ていた。振り返ると夏が辛かった、何よりも。自分は冬には耐えられるし、寒さには強いと考えていた思い出がある。若かったけれども本当に誇らしかった。エヘンと腰に手を当てながら胸を張り切ってみせるようなイメージではないか。 人前でできると嬉しいポーズの一つだった、僕にとっては正しく。良い人というか、安心できる貴方にしか見せたくないと思うせいだろう。茶化されたくないんだ、些かも。だから包みむような優しさを持っている誰かにしか普段は決してやらないし、考え付きもしない。 有り難い、振り返ると。そしてブログでも載せられるという事実は訪問者に安心できる貴方のイメージが湧いているせいに違いない。 気持ちが波乗りのように軽やかに流れるのを感じる。大事にしなくて損な性格だ。求めるアクセスアップは本当に駄目だけれも終わりではないし、全てでもないんだ。他から手にした好調だけでもせめて信じて続ければ良かった。原動力だと思う、ブロガーにとって欠かすべくもない。 人生でも同じだから落ち込んだら思い出こそ味わおう。確かに幸せだった。世界の貧しい子供たちですらも生まれた瞬間だけは何一つ悲しんでなかったわけだ。誰でも好調ではないか。手放すなんて損な性格でしかなければ僕にはできないし、したくなかった。 知るかぎりは遅れ馳せながらの死に損ないとしてはもはや微塵もだ。 寒い寒い二月に宝物が新しく見付かった。雪の結晶のように美しい。辛いばかりの人生では目にしてこそ手に入れても可笑しい。しかし相応しかった、一年で最も寒い月だから分かり難さも腑に落ちて。溶け去る前に逸早く味わわれた思い出の幸せという人生の可能性としての宝物だ。未来への励みに役立てられる。 コメント 新しい投稿 前の投稿
コメント