ベッキーの不倫は人生へのコンプレックスが大きい 結城永人 - 2017年2月9日 (木) ゾッとしないでもないと漫画の台詞で良く聞いていた感じがするけれども実際に味わわれるのは初めてだったかも知れない。いつもあるのかと疑っていたせいだ。思わず、その世界への興味から道筋を変えてしまいそうなので、逃げないで、立ち向かわないと何一つ考えられなくて正面には駄目だと断っておきたい。 大好きだったベッキーへの古い懸念 ベッキー|ベッキー(Becky) 世の中がベッキーでざわ付いているようだった。特に気にも留めずに過ごしていたけれども偶さか飛び込んで来た不倫の一言には二度見せざるを得なかった、正直にいって。イメージががた落ちに等しくて以前の大好きだったものとは過度に大きくずれ込んでしまっていたので、ベッキーは懐かしくもどうしたのかと狼狽える他はなかった。 念のために不倫は本当ならばと「ベッキー 不倫」で検索エンジンにかけると疑う余地はないくらいずらずらずらずら見付かった情報だから簡単に調べては本当だったし、昨年の正月から発覚して本人も公に謝罪しながら芸能活動を自粛していたけれども今現在は漸く復帰するところに差しかかっていると分かって来た。 僕はベッキーは芸能界にデビューしてから一目で気に入って芸能人としては非常に正直だし、リアルそのもののキャラクターが飛び抜けて優れていると考えたりもしていた。 要するに作られてない、不自然に。キャラクターが生きているとベッキーは抜群に感じられた。 演技としてセルフコントロールが完璧にできるのはジェームズ・ディーンしかいないし、そこまでは行ってない、もちろんベッキーもきっと。さもなければブログの些細な日常としては不倫というスキャンダルよりも取り上げるべきテーマが前以て数多くあったはずではないか。今日が初めてで、自己表現からナチュラルな香を漂わせられると拝みたくなるほどに有り難いアーティストだと思われる心そのものだけど、しかし少なくともベッキーには無意識で可能だったから振り返ると個人的には同じようにスターと称えるのにも全く支障のない存在だった。 テレビや雑誌に出ていれば直ぐに目を向けざるを得ないし、何をやっているのかと興味や関心を持って身近に接するようにまるで過ごしていたわけだ。 ベッキー♪♯ - 好きだから|ベッキー♪♯ 暫くしてちょっと怪しくなって来た。ジェームズ・ディーンと比べると非常に分かり易いけれどもセルフコントロールができないと周りに呑み込まれてナチュラルな香を振り撒くままのキャラクターでは人間的に擦れるかも知れない。テレビで人気番組の天才!志村どうぶつ園に抜擢されてからベッキーの人生に暗雲が垂れ込めたと懸念されるようになった。 部屋でチャネルを合わせるのも忍びなかった気持ちは事実だった、今にして思えば確かにもせよ、恋愛に例えれば別れの足音が鳴り止まないイメージだろう。 または二人の行く末に差す傘はないとした雨に取って換えられる全てならばいっそ真っ暗闇に抱かれながら迷いの森へ出て行って幻想的にも耐え凌ぐべき存在の軽々しさに驚きつつも魂を見定めるように座り込むしかなくなる午前八時三十分の金星が詩的ではないか。 芸能人としては非常に嬉しいはずだし、天才!志村どうぶつ園に参加できてしかもレギュラーだからベッキーはさぞかし喜んだに違いないし、頑張ろうと努めて意気込んだように察せられる。誰でも同じではないか。立場を踏まえれば仕事が本当に捗りかけているんだ。やりたい何かが思い通りに進み出し始めた。元々は分からなかったにせよ、志村けんが中心ならば完全に外すわけはなかったし、万一、直ぐに打ち切られても数少ない芸能界の大御所と一緒にテレビ番組に出られたならば後々の人生に財産になり得ると考えられる。本当かどうかを自分に試しては最高に面白いはずだ。喜ばなければ可笑しいし、諦めるには余りにも早過ぎるという境遇に好運にも恵まれたのではないか。 ただしベッキーにかぎっては人間的に擦れるかも知れないと懸念されて普通ならば構わないし、人前でプライベートを明かさない振る舞いが見られても珍しくはない。場合によっては躾が行き届いていると可愛がられるから取り分け進学や就職の面接では必須とも過言ではないと思うし、擦れたから、全員、堕落するはずではないにせよ、 周りに呑み込まれると危ない。セルフコントロールが正直に生きようとするほどに人間は強く求められるという所以だ。 天才!志村どうぶつ園で明らかだったのはベッキーが動物との触れ合いで感涙するのが厳しかった ベッキーとパンダ|ベッキイ というのはやはり世の中に睨まれていたわけで、人々がベッキーの涙に不自然さを感じた。泣き過ぎて鬱陶しいみたいな形でバッシングも飛び出す始末だった。 本当に逆心的だけれども眼差しがキャラクターよりもパーソナリティーに向けられたせいで、ベッキーが正直に泣いているからこそ人々にとっては芸能人でなくて一人の人間として不味いのではないかと怪しまれずにはいなかったと推察される。 平たくいえば動物に泣き崩れてばかりいては誰も正直に生きて行けないのではないかと心の弱さとして憎らしく味わわれたのかも知れない。 これもジェームズ・ディーンと比べると対照的で非常に分かり易いと思う、正しく。物凄い強い心の持ち主に見えるし、リーゼントとジャケットとジーンズで誰でもかかって来いの喧嘩大好きな不良少年にも一目を置かれる存在だったりした。またはいつまでもするというような青春のアイドルとしての地位が二十代で急逝しただけに否定できない感じがする。ベッキーはただ泣くだけで同じようにスターながら情けなく見られたとすれば余りにも素直過ぎたし、イメージが子供ならば成人過ぎて良い加減にして欲しいとの注文が記憶では相当に古くて短くても五年以上は遡るけれども天才!志村どうぶつ園に押し寄せなかったともいい切れなさそうではないか。 僕は同情に堪えない、詩人として。自分を出して社会的に傷付いたベッキーというイメージがまるで遠い海から岸辺に打ち上げられた海豹の息絶えた横たわりのように重々しくも抗い得ず、天才!志村どうぶつ園のそれこそ泣き役から組み合って本人もコンプレックスとして抱えるように変わって行ったのではないかと感じられていた。 不倫を覚えたベッキーの実像とは何か ベッキー|KYODO NEWS 僕はベッキーは女性としては夢見る乙女で、所謂、白馬に乗った王子様を待ち焦がれるタイプだと認める。生き方が自分に正直だから一途に尽くすのではないか。恋愛でも変わらなくて嫌なものは嫌だと気持ちを誰にもはぐらかされたくないために相手には断じて引き下がらない。いい換えると生活の一部始終を空想的に追い求めてしまうから恋人探しは常日頃から非常に難しそうだ。 失敗するとすれば一人に目が眩んで騙される。ベッキーの不倫を調べると相手が妻子持ちなので、ベッキーから見れば厳密には恋愛とも過言ではない。相手が離婚してベッキーとの結婚を求める向きもあるみたいだから普通に考えれば付き合っても何れは自分が元妻と同じ目に遭わされる前に「止めなよ」とベッキーに反対の声が明らかなはずだ。ただし一人に目が眩んでいると後から捨てられても構わないくらいに考えて承諾するかも知れないわけで、宿運においては騙されるという恋愛での弱点が克服できるかどうかが問題になっていると占われる。 ベッキーとしてはたぶん最初からこの人には捨てられても構わないし、人生で悔いはないと知るように付き合っていたのではないか。詩的に表せば飛びっ切りの思いだから雰囲気はサティの三つのジムノペティが心に流れるほどの甘やかな恋しさを得られたと受け取られてしまいもする。 出会いで目的は果たされたし、二人が続くかどうかはそれぞれの道にせよ、そこに至るまでの過程がなぜ不倫だったかが考えるとベッキーにとっては知ってか知らずか危険を冒したせいだったようなんだ。 天才!志村どうぶつ園でのコンプレックスが尾を引いている。つまり少年が世の中に辟易して非行に走るのと同じように動物に感動して泣き濡れるほどに非難される理由が分からなくて自らの方向性が定まらなかったわけだ。 ブレーキをかければよかったんですけど、友だちでいようねと言いながら何度も会ってしまって、気持ちがどんどん大きくなってしまった ベッキー/ベッキー、不倫認めうそ謝罪「二度と裏切ることのないように」|ORICON NEWS|oricon ME 好きとはいえ、相手には裏がありそうだし、最終的には不味いと感付いたらベッキーは本来ならば付き合うのは避けていたかも知れないけど、しかし自らの方向性が定まらない状況ではむしろ待ち望まれていたかのように危険を冒してでも手を伸ばさずにいられなかったのではないか、コンプレックスが耐え難ければ悲しみを主体性から反証しないと免れないと思う。 もしも人生が不味ければ自力によってそのように経験しないうちは根本的には立ち直れないだろう ベッキー|ベッキー(Becky) ベッキーは不倫をやらかした。生まれも育ちも悪くないように見受けるし、本当に大好きだったので、僕にとっては天才!志村どうぶつ園が予想外に仇になったとしか認められない。 不倫は一般的には恋愛へのコンプレックスに基づく。男性ならば望みが叶わなかったせいで、女性ならば間違いを犯したために付き合いの方向性が定まらなくて何れもそうした悲しみを免れたくて生じて来るはずなんだ。それぞれの気持ちはジェンダー(性差)によって変わるので、女性的な男性と男性的な女性を含めると事情は細分化されるし、人間性をどのように切り分けるかによって認識も錯綜して来るにせよ、世の中でもっと良い人がいると誰かと付き合いながら考えるのが恋愛へのコンプレックスなんだ、本質的にいうと。 暫く付き合って呆れてちょっと離れるとか詰まらなくて焼き餅を焼かせるなんて恋人たちの日常の些細な刺々しさも本当は恋愛へのコンプレックスだから結婚していれば不倫だけれどもさもなければ浮気に繋がらないともかぎらないと予測されるわけだ。 ベッキーはそうではないと思う、ただし。特殊的な不倫だった。むしろ人生へのコンプレックスから来ていると考えられるから宿運と重なるとあり得るんだと偶さか驚かされる。 誰かと出会って人間は成長する。神の視点からは成長するために人間は誰かと出会っているのではないかと何もかも必然的に受け留められて摩訶不思議な世界に引き摺り込まれる。 ベッキーは彼に騙されても耐え抜くみたいに恋愛の弱点を克服しながら人間性の器が広がるところまで来ていて結果的に不倫という危険を冒したのは天才!志村どうぶつ園で被ったコンプレックスのせいだろうと僕には認識されるし、元々の大好きだった気持ちからは納得できないほどの不倫を覚えた実像として挙げておきたくなるんだ。 人生を狂わせる現実があるとすればセルフコントロールによって確かに避けられると分かるから常日頃から役立てるべきだ。自分が自分のままでいられないと世の中で危険を冒し易いわけなので、いつでもどこでも周りに呑み込まれないように人生へのコンプレックスを持たないだけの精神力が大事だったし、神と天使はさておき、万人向けに示せば理解者以外の言動を気にし過ぎても落ち着かないだろう、恐らく。 参考サイトベッキー&川谷の不倫、『週刊文春』担当記者がスクープの真相を初告白川谷絵音とベッキーの不倫の経緯まとめ!嫁さんの事を友達呼ばわりとは… コメント 新しい投稿 前の投稿
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