ベーコンのアトリエはゴミ屋敷なのに格好良い

フランシス・ベーコンのゴミだらけのアトリエ
Francis Bacon's studio at the City Gallery The Hugh Lane, Dublin, Ireland by antomoro (Own work) [FAL], via Wikimedia Commons

本当に困るというか、ベーコンの絵は怪奇的で余り長く見ていたいとは思わないけれどもアトリエには普通にアートを感じる。片付けて欲しがりながら思いはゴミ屋敷でしかない。ところが散乱している画材に少しでも手を伸ばそうとすると心の中で動かしてはならないし、一瞬に全てが成り立った《世界の生命力》を味わわされるのも確かなんだ。またはリアリティーの引き潮によって写真だけれども目の前のベーコンのアトリエに自分自身が急速に巻き込まれてしまう。諺にある通り、住めば都とゴミ屋敷かどうかはもはや苦にならないのが不思議だ。実際に生活するのほ考えても厳しいかも知れないにせよ、アートとして捉え返してみるとベーコンが細部の先の先まで仕組んだようにも受け取られてずっと見ていたいと率直に感じる。


フランシス・ベーコンのゴミだらけのアトリエ
Francis Bacon's studio at the City Gallery The Hugh Lane, Dublin, Ireland by antomoro (Own work) [FAL], via Wikimedia Commons

ベーコンのアトリエは格好良い、アートながら作り上げたのは彼にとっては偶々で、普段の生活に合わせて画材が勝手気儘に配置されたはずだとありがちに考える。すると神が降臨したように認められもする。ゴミ屋敷と根本的に異なるのはベーコンのアトリエを埋め尽くした全てが絵描きに必要だからで、それぞれが似ているのは乱雑さというスタイルに過ぎない。只単に雰囲気が重なっているから感情移入が高まるほどに参って息詰まりながら困らざるを得なくなるけど、とにかくイメージでは出会ってしまっている神が本当に凄いと感心させられるんだ。アトリエがアートとしてなぜ作り上げられたかを当のベーコンよりも自然の美しさの一つに数え上げている気持ちに呼応しながら目に浮かんで来るわけだった。知るや否や避けられない。


フランシス・ベーコンのゴミだらけのアトリエ
Francis Bacon's studio at the City Gallery The Hugh Lane, Dublin, Ireland by antomoro (Own work) [FAL], via Wikimedia Commons

どんなに瞬きを繰り返しても神がベーコンのアトリエにはいるとなると目を閉じても変わらないし、開ければいうまでもないから見るかどうかは超越された地点へ存在が移行してしまう。


生きる喜びならば羽根の生えた心が遠くの空に受け取られて知覚を研ぎ澄ますと天使だったと分かる。気付くのが遅かったために手前の存在と結び付けると神の周りに天使がふわふわ飛んでいて望めば幾つも捻り出されるように現れるし、大小様々な仕方で和まされるばかりだ。どこまでも広がって行く生きる喜びに包まれては平和への祈りも止まりはしなかった。


フランシス・ベーコンのゴミだらけのアトリエ
Francis Bacon's studio at the City Gallery The Hugh Lane, Dublin, Ireland by antomoro (Own work) [FAL], via Wikimedia Commons

方法上は実生活を生成的に認識しているのと大差がなかったわけなので、ベーコンのアトリエは人生の縮図といっても良いだろう。


すると驚くのは必要性しかなかった。どれもこれも貴重で、捨て去るには余りにも惜しい。愛が芽生える。


ベーコンのアトリエはアートだし、ゴミ屋敷にも思われずにいなかったにせよ、神と出会えるくらい自然の美しさに速やかに満ち溢れているかぎり、最終的には実生活と組み合わされながら世界そのものが尊ばれるので、素晴らしい気持ちとしては実現したというか、強いて片付けたりもせずに過ごしていたベーコンに由来するように考えられるだろう。


だからある、ベーコンには素晴らしい気持ちが。画材が散乱したアトリエがアートだと感じるのも普通には本当に正しかったのではないか。


絶望や不幸の気持ちは満足の気持ちよりも芸術家にとってとても役立ちます、なぜなら感受性の全ては絶望や不幸に引き伸ばされるからです。



個々のバケツや箱、さらに入っている絵の具や筆、加えて内と外の関係性を踏まえながら知覚するとベーコンのアトリエの何もかもが重く感じられる。物語を歴史的に持ってるのではないか。はたまた詩が恍惚的に保たれているのではないかと勘繰るほどに神が又近付いて来るようだけれども見守られながら明らかに安らいで視線を漂わせたくなる。


学ぶのはアートは飛んでもなく簡単だ。ベーコンにとってアトリエはアートではないし、独特には難儀にせよ、普通に感じるアートは素晴らしい気持ちがあれば良いだけに過ぎなかった。どう表現するかと頭を悩ませずに済むわけだ。常々、素晴らしい気持ちがあるかどうかはアートとは又別だけど、ベーコンのアトリエに感動するのは事実だから知ったかぎりは確実に励みにはなる。作品が最も分かり易いみたいならば可笑しいくらい面白いはずのイメージだから求めるのも無理はなくておよそ愉快だ。

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