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ラガーフェルドというシャネルのデザイナー

二十年以上もやっていて非常に長いと思うシャネルのデザイナーのラガーフェルドなんだけれども男性なのが最初は驚いた。シャネルは女性なので、そうしたファッションブランドを引き継いで後から表現するデザイナーも女性でなければならないわけではなかったと思う。たぶんシャネルにかぎって違和感が生じたのかも知れなかった、僕にしてみれば。


女性向けのファッションそのものならば男性のデザイナーでは物足りないみたいに受け留められてしまったわけで、ファッションブランドの会社としてもシャネルはラガーフェルドを起用しながら何をやっているのかが訝られてならななかった。


日常の素朴な疑問だし、強いて考えもせずに過ごして来て何の支障もなかったようにせよ、知ってみると少しでも気持ちが晴れて雪解けの春というか、人生の幸せが得られるのも確かなので、どんなに些細でも放り出すよりは面白いだろう、好奇心も満たされるし。


シャネルの新しいイメージ



ラガーフェルドのシャネルについてのインタビュー/CHANEL by Karlを観ると物凄く分かり易かった。


シャネルはなぜ良いのか


僕が持っていたイメージ通りで、女性向けのファッションを徹底的に追求したシャネル(デザイナー)なんだけれどもラガーフェルドはスーツに焦点を絞って男性向けのスタイルとは、全然、違うんだというところに感動と興奮を覚えながら自分もファッションデザイナーとして尊敬の念を抱く気持ちが抑え切れないように素晴らしく喋っている言葉が印象に残った。


キーワードがスタイルにあって胸のうちをいい当てられたと頷きが止まらない感じがしたからラガーフェルドの考え方にそれこそ驚かざるを得なかったし、かつての不可解だった思いの全てが吹き飛ばされてしまったとも過言ではなかった。


シャネルは女性が自己主張を図るという時代そのものをファッションを通じて生み出したように良く取り沙汰される。国によって女性差別の歴史があるとすれば政治的な文脈まで含めてシャネルがいなければ女性はそうした世の習いに立ち上がろうとはしなかったかも知れないし、少なくとも後押しするだけの実積を残し得たと捉えられるくらいファッションにせよ、社会へのインパクトが非常に大きな存在として考えられもするわけなんだ。人々、取り分け女性に神格化されても決して可笑しくはない、シャネルというデザイナー、そして彼女の名前を冠したブランドについては。


シャネルのロゴは美しい


ラガーフェルドのインタビューで面白いと認めたのは彼がシャネルのデザイナーとして何をやったかを自分で明かしていた。


表現者として僕は口に出すかどうかをいつも悩んで明かしても皆に伝わなければ全くの無駄な物差しで終わる他はないし、却って精神的な疲れが酷くなる一方ならば最初から黙っておくべきではないかと怯えるけれどもラガーフェルドは口に出して衒いなくも威風堂々と言葉を世に送り込んでいたわけだ。


聞くとシャネルのファッションにロゴを現代的に1980年代から率先して取り入れた張本人がラガーフェルドだった。


かねてロゴが目立つデザインだと不思議がっていてそればかりではないもののシャネルというとロゴがセットになってしまっているようなイメージが胸に刻まれて親しみ易いみたいな感じで以前から気持ちに定着していた。


元々は違っていてチェーンやカメリアを使うのも併せてロゴを洋服やバッグや靴などに組み込んだのはラガーフェルドがシャネルで新しく打ち出したファッションの一つに他ならない。


これらすべては私が進めたことで、誇張して人々の頭の中に印象づけたのです、今も存在しているかのように。でも、それが私の仕事ですから。


カール・ラガーフェルド/CHANEL by Karl via CHANEL

シャネルの自己主張というスタンス、ラガーフェルドの言葉では「かすかな音を立てる女性らしさの自己犠牲」とスタイルから捉えられていたけど、または生き方を誰よりも重く重く受け留めながら思い付いた格好良さなのではないかと感心させられた。


ラガーフェルドはロゴで鮮烈にシャネルとは何かを示した。美しい気持ちなのは間違いなくて個人的には自己表現がどこまでできるかが《芸術における神からの至上命令》とも呼ぶべき地平なので、鮮烈にできれば何にしても魅了されるしかない。本当にまるで命を吹き込まれたようなスタイルを持つし、素晴らしいと称えたくなる。


シャネルはスーツが女性向けで特徴的だけれども一つのスタイルそのものをロゴで浮き彫りにしたラガーフェルドのセンスは凄いし、考え返してはシャネルのデザイナーにやはり相応しかったんだと腑に落ちるばかりだ、改めて。


生命力としてのシャネル


普通に見ているとやり過ぎではないかとも感じなくはないロゴの目立つデザインだったけれどもシャネルのイメージをラガーフェルドから新しく学んでみるとコンセプトはさらに生命力に置き換えられるだろう。


すると人間どころか他の生き物の数多でさえも覆い尽くしながらいつでもどこでも欠かせないほどの自然の真髄に触れる思いがして来るんだ。


やり過ぎで本当は良いし、さもなければ万物に未来はなかったのではないか。命を繋いで行くために過去から現在よりもはみ出すような存在が心身に備わっているはずだった。


ラガーフェルドのシャネルは生命力ならばファッションも元気としかいいようがなくて健康と長生きに寄与するのはもちろん、芸術的にも極めて優れているわけならば見ているだけで嬉しくなるような趣きこそ携えていた。


シャネル自身も第二次世界大戦で敵国のドイツのナチスにスパイとして加担したと戦後は自国のフランスで人々に非難されて追い出されるようにもはや外国のスイスへ亡命せざるを得なかったらしい。相当にやり過ぎだし、はみ出したにしては危険なまでの人生を送ってしまっていたわけだ。戦争を巡っては自分が生き残るために祖国に背くというのはどんな理由があろうとも仲間の皆を見殺しにした最低の野蛮人だから許されるべきではなかったに違いない。


只単に生き抜く、すなわち生命力においては平和ならばきっと大丈夫だったゆえに可哀想だったと祈るように振り返りながら考える。


参考:カール・ラガーフェルド ココ・シャネル シャネル ココ・シャネル、ナチスのスパイだった―仏国営テレビ

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