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少年の職場の悩みへの認識力の社会学

家の近くでスマホの音量を上げて喋る少年がいた。中学生だったけれども卒業したのか、去年の始めから日中にぷらぷらし出したようで、不可解に受け留めていた。聞こえて来た一本の通話からはっきり分かった。先方の友達も同じで、中学校を卒業したものの短時間のアルバイトをやっているみたいなんだ。だから時間が余っていてぷらぷらし出したわけだけれども改めてちょっと悲しかった。二人とも進学せず、正面に就職もできてない。


何を望んでいるのか、周りの大人たちは先生も親も。それとも不況で、仕事が減っているからもはや短時間のアルバイトでも仕様がないのか。


一年くらい経って音沙汰がなくなった。ぷらぷら少年の毎日の勤務時間が伸びたのかも知れない。アルバイトなのか、正社員なのか、どちらにしても何もしないでいるよりはせめて益しだろうとほっとしなくはなかった。分からないので、どこかのひね曲がった道にでも迷い込んでなければ良いと思うし、幸運を祈るしかない。


NHKスペシャルの見えない“貧困” ~未来を奪われる子どもたち~で、近年、日本の子供たちが学生でもアルバイトで多く働いていると取り上げていたけれども考えると世相が昭和以前に逆戻りしているのではないか。江戸時代なんか本当に当たり前だった。年少でも人間は働くべきと常識化されていて現在の途上国と日本も変わらなかったはずだ。今又、そうなりかけている。社会的に退化しているようで、耳の痛い実況だった。


ただし面白いのは僕も含めて働かずに済んだ学生が本当に勉強一筋だったかどうかは怪しくて学校に在籍しながら中身は遊んでいるだけならば働かざるを得ない子供たちこそ余程と幸せではないか。


社会的には危険だし、勉強しない人ばかりでは国もまさか進歩しないので――スマホ一つどうやって作り得るかも物理学者にしか分からない――博学を推進するべき政治が理想としては掲げられるだろう。


注意すると遊ぶのも大事だ。遊んでこそ僕も永遠の詩人になれた。高校時代にランボーカフカスピノザを読んでなかったら、または大学時代にフランス現代思想ポストモダンの批評をやってなかったら天使的な人に愛されたかどうかは決して定かとはいえないと思う。学校の授業とはさほど関係なくてむしろ遊びだった。自分が気に入ってそうした知識へ向かっていたからゲームやアニメと変わらないんだ。どう生きるかが問われていた。およそ世間一般の学習では必ずしもスケジュールに入ってないところから素性を損わずに済んだわけだろう。本質的にはそれこそ真実の勉強だと考えられるし、遊びと口に出しては事物の外観でしかないにせよ、最初から覚え込んでスムーズに追跡するのはきっと難しい。学校だけで賄われるには人間の一生を予め計算できるコンピューターみたいな認識がないと無理だから神様も無限知性の意地にかけてどんな個物にも先回りさせてくれなさそうだ。


銀色の星空の元で、ぷらぷら少年へ思いを馳せると胸を痛めたのは泣いていた。


スマホのスピーカーからアルバイトで誰かに何かを指摘されて悔しさを味わわされたらしい。


作業が疎かとかなんて詰られたのか。部屋の外の震える声が聞きながら可哀想だった。


中学校では職業訓練も大して受けてなくていきなり職場に入ってスマホの通話先の相手はアルバイトではないかも知れないけれども社員教育はないままか、その代わりにでも周りから文句ばかり付けられているみたいに察せられてしまった。


やればできるだけの些細な日常でも職場によっては忙しくて誰も彼もがいきり立っていて必要以上に見下されるかも知れないわけで、そうした経験から将来性がどうかと人間的に懸念される。たとえ上手く切り抜けても暫くして自分自身が又逆に新入りを目先の標的にするのでは世の中は変わらないだろうからかつて見下されたせいかとも感じるよね、今此処では馴染みの振る舞いの全ても。


哲学的には「ルサンチマン」(怨念)と見做されるけれどもニーチェの概念だと知らないとやはり人々にとって終わらないはずだ。


僕も最近まで驚き続けた。職場で注文の多い料理店宮沢賢治)と呼べば詩的にもせよ、ああだこうだと始まる度になぜなのか。実際に忙しくていきり立っているせいではどうにもならない(カフカ)だから救いの手は果たして虚しいかぎりだろう。仕事の効率化が根底的に問われているのに発案する方面から最前線に長々とアイデアが回って来ない。または確かめてみても発案する方面でも同じか、当たり前の現場が見えないとすれば会社全体がにっちもさっちも行かないわけなんだ。況んや「ルサンチマン」を知らない人々こそ大変だから自分で自分を律する可能性もないかぎり、最終的には「小児的資本主義」(浅田彰)そのものと憂えざるを得なくなる。


日本で子供たちが多く働きながら以前よりも知識不足を強いられると思考が遠ざかってしまうし、国や地域、そして自らの生活も得てして不況ならば正しく厳しいままに陥りがちかも知れない。


僕はサイトをGoogle検索に引っかけて必要な知識を世の中に広めるように努めるけれども現時点ではブログも一日十人がやっとだからかりに夢は叶っても人々はまだまだ持ち直して行かないのではないか。


むしろ下がり続けるのは目に見えて明らかだ、皆の認識力が全てについて。


世の中が良く分からないままに生きると人間は表象に揺り動かされ易い。原始人までは流石に戻らないかも知れないにせよ、虚妄こそ大きな人生を余儀なくされる。江戸時代ならば幽霊が実在するというオカルトから物事が判断されたりしたわけで、経験から見比べると現代ではインターネットの仮想がさらにさらに重要度を増して来るのではないか。情報を数多に取り込んで、どれが良くても脳味噌は回転中に混乱するはずだ。認識力が低いと諸々の観念を速やかに整理できなくなる。気持ちもハチャメチャになり兼ねない、奥深くで。すると疲れておよそ眠るしかないし、日々、神経が参ってしまうので、本当に世の中とは何かのような問いかけへは近付くのも儘ならないくらい落ち込むと予想される。


生活では学校でも会社でも主要な場面では規則に細かく縛られている。一々、合わせるのに体力も持たないのではないか。職場で病気知らずの若者でも大変そうに見える。インターネットで神経が参っているせいならば人間として認識力が追い付いてなかったゆえで、やり過ぎのせいではないのではないか。


すると悲しみから逃れるためには思考なしに巷の解決策を実行してばかりになってしまう。


インターネットも縁遠い頃は寺山修司書を捨てよ、町へ出よう(評論)が格好良かったけど、捨てるべき書を持ってなければ町へ出つつは投げ飛ばされたに等しい気持ちだろう、よもや空無から。


近所で、少年が本音で悩んでいたのは象徴的だったから僕も涙を忍んで聞き耳を立てざるを得なかった。


個人的にいって認識力が大切だし、諸々の情報を的確に捉えられるかどうかにかかっている。必要な知識を少しでも多く掴んで日頃から学ぶしかないのではないか、黙々と。精神の鍛練を怠ってはならないし、たとえ毛虫でも蝶になって軽やかに飛び回るように直ぐに立ち去っては知性は強化されないはずだ。納得すると美しく閃く。

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