願をかけるのは気持ちから人生を成功へと導くためで 結城永人 - 2017年1月18日 (水) とんかつを食べてアクセスアップに勝つ ブログを開設して一ヵ月に達しようとしている。Google検索からアクセスアップを狙って上手く行くかどうかの最初の目安になりそうだ。一日一人、来るか、来ないかの横這いが続いているので、打破したい、目の前の情けなさを。ほんの僅かでも良いからブログが成長している、Google検索でのサイト評価は上がっているという証を受け取りたいものだ。 景気付けにとんかつを食べる。やることはやっているし、できるかぎりの手は尽くしているんだ。残るは必勝祈願しかない。とんかつのかつにアクセスアップに勝つの願を懸けて気持ちを盛り上げて行くべきではないか。 今後の活動状況にも影響しそうだし、万一、Google検索からのアクセスアップに期待するだけの結果が得られないとしても気持ちの落ち込みを最小限に食い止めるためにはやっておくには越さないと思われる。 人生は駄目続きで終わるとはかぎらない 駄目で駄目でどうしようもなくて本当に終わりだと死ぬしかないところで初めて願いが叶ったりもする。 野球で最終回の逆転ホームラン パチンコで最後の玉一個でフィーバー 会社で倒産寸前からヒット商品 試験で制限時間間近に閃いた回答 何れも火事場の馬鹿力と呼べるかも知れないし、世の中の事例では枚挙に暇がないくらいではないか、嬉しくて記憶にも残り易いにせよ、奇跡的な復活を遂げる可能性は常にあって上手く行かない人生が直ちに終わりだと考えるのも虚しさが禁じ得ない。 失敗者に大事なのはそれこそ急場をどう凌ぐか。いつかきっと夢は叶うと信じて頑張っている最中、夢の途中の真っ只中で、諦めが人生を浚う荒波のようにまるで気持ちに湧いて来てしまうと本当に不味いし、努力は潰えて何かもが水の泡に等しいわけだ。 願を懸ける、あるいは験を担ぐと実際に良かったことを繰り返してみるのも気持ちは同じだと思うけど、それ自体に成功への効力は直接的にはないとしても等閑にしてはならなくてむしろ夢を諦めずにきっぱり続けて行くためには非常に役立つ。 コメント 新しい投稿 前の投稿
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