ヴィヨンの死刑と共に歌われた不幸な詩へ

生活苦に苛まれるほどに親近感が湧いて来る詩がヴィヨンの首吊り人のバラードだった。


十五世紀の詩人で、ならず者みたいな生き方だったらしい。窃盗や暴力/殺人などによって幾度も投獄された。それこそ悪の詩人を地で行くという形で、三十歳を過ぎた頃に止まらない犯罪からついに絞首刑を宣告されてしまった。


ヴィヨンは現世に別れを告げるような思いで自らの死を控えながら首吊り人のバラードを歌ったとされる。墓碑銘ともまさか題されている。モチーフはいうまでもなく、自分らしさそのものだ、果てしなく、悲しい気持ちだったにせよ。


フランソワ・ヴィヨン

結果的には減刑されて絞首刑は執行されずに地域:パリの十年間の追放処分だけで済んだみたいだけど、ただし後の消息は歴史的に途絶えていて三十二歳で亡くなったことしか確かには分からない。


考えると尻切れ蜻蛉の生涯が可哀想でならない。死刑を免れて改心したのか、悪の詩人を最期まで貫いたのか、どっちなんだと人間的に宙ぶらりんに受け留められる気持ちは正しく不幸だろう。


ヴィヨンも事情を知った人々だけでなくてそのような内面生活を余儀なくされたかも知れなかった――。


日々、犯罪に手を染めるどころか気持ちが奥深く破壊されさえもするというやばいかぎりの人間性を誰よりも味わわせる詩人、そして詩なので、注目せずにはいられないし、勉強として人生では反面教師だけれどもなるべく真似しないためにもしっかり覚えておきたくなる。


同胞者よ、我らの後も生きて、
身動きしない我らを思い描くな、
なぜなら、もし憐れみを持つならば、
神はお慈悲をかけてくれるはずだから。
汝らは首吊り人の我らを五体、六体と目にする:
たっぷり養われて来た、肉のようで、
鳥に食われては腐り果ての、
我ら、骨は、灰と埃になるのだ、
誰も傷付いた人間を笑いはしない。
只単に神は我ら全てを許し給うと祈れ!


汝らへ叫ぶとき、同胞よ、恨んでは
ならない、ともかく正義によって
死へ裁かれた。しかし、汝らは
その全ての人々が座った良識を持たないと知る;
過ぎ去られたことだと、聖母マリアの、
羅紗を欲した御子へ取り成せ、
その彼の恩寵は我らを枯渇させない、
我らは地獄の落雷を持ち堪える。
我らは皆死んで、慌てもしない魂だ;
只単に神は我ら全てを許し給うと祈れ!


雨は我らを流して洗い出す、
そして太陽は干して焼き焦がす;
鵲、烏で、我らの目は穴ぼこだ、
そして髭と眉毛が引き抜かれる。
絶対に、過ぎ去ることも、我らにはない;
ここへ、そこへ、移り気な風のように、
その健やかな喜びは休みなく、我らを運ぶのだ、
しかも小鳥には指抜きよりも啄まれる。
従って我らの兄弟愛へは加わるな、
只単に神は我ら全てを許し給うと祈れ!


王子キリストよ、全てを支配する、
我らの地獄に取り込まれないご加護だ:
何の用事も彼には持たなくて良い。
人々よ、この際は野次るな
只単に神は我ら全てを許し給うと祈れ!


フランソワ・ヴィヨンの首吊り人のバラード(訳出)

当時、フランスで栄えていた定型詩の手法の一つで、バラード/譚詩(たんし)によって歌われている。


ヴィヨンの首吊り人のバラードは二行綴りで五句の詩節が、三回、日本語では分からないけれども原文のフランス語では二行綴り毎に脚韻をどれも同じように揃えながら、そして各詩節の最終行は全く形を変えないで繰り返されて半分の五行一句の詩節を結句として締め括られている。


バラードを代表する詩人の一人に数えられるヴィヨンのしかも代表作だからイメージとスタイルががっちり噛み合っていて極めて美しくて芸術的には不朽の名作といって良い。


全編を引用したけれどもバラードの特徴は各詩節の最終行をそのままで全く形を変えずに反唱(リフレイン)させて行くところにあってすなわち「只単に神は我ら全てを許し給うと祈れ!」が作中に、四回、出て来て言葉の響きで受け手の心に強く訴えるように表現されているわけなんだ。


纏めると各詩節の流れは懺悔・反省・覚悟・告白という気持ちがきっちり示されているし、素晴らしいと称える他のない人間性が実感されてなぜ死刑なのかも疑わしくなるほどに改心のイメージが非常に強い。


ヴィヨンは首吊り人のバラードの気持ちで生活していれば罪を犯さずに済んだのではないか、キーワードとしては「良識」が目を引くけれどもやはり下劣だから犯罪者にしかなれない存在だとしても死んで償うという予感が捨て難いばかりだ。


現代的にはちょっと理解に苦しむ。国民に義務教育が完備された社会で何等かの法律も分からなければ仕様がないだけの無知が問題視されているわけではない。


いうと国の社会への責任を個人が全面的に負わなくてはならない時代が中世だった。


フランスでは専制君主の国家体制が敷かれていて統治者の王様が只一人で国民生活の全てを支えていた。


ヴィヨンが生きた年代としては十五世紀でも後半のヴァロア朝で、シャルル七世からルイ十一世の在位期間に当たる。


日本では戦国時代の始めだけれどもフランスでも内戦やヨーロッパの周辺国との戦争が絶えず、繰り広げられていて人々も本当に厳しい生活だったはずで、社会そのものも混迷を極めていたと思う。


ヴィヨンは殺人鬼ではないし、そもそも罪が重過ぎたのではないか、首吊りなんて度重なる前科によっても。


個人の法的な責任能力が二十一世紀の日本と比べてももっとずっと高く見積もられてしまっていて「良識」の意味合いは首吊り人のバラードの思考によれば一人で国自体を築き上げなくてはならないほどに深かったようだ。


ヴィヨンの歌声は現代社会を何世紀も前から先取りしていたというか、作中の「座った良識を持たない」のフレーズは個人が法的な責任能力として全面的に負うには、倫理上、無理があるし――人間は国家ではない――加えて人権から捉えれば殺人鬼でもないのに死刑をあっさり宣告されるのは余りに酷過ぎると教えていたに等しい。


フランスの文学史では最大の中世詩人で、最初の近代詩人と位置付けられる存在らしいけど、とにかく主体性が作品にしっかり出ていて世の中の王が全てという風潮に思想が染まってないのは明らかなんだ。


因みに主体性が個人に結び付くと現代詩人だし、ヨーロッパではイタリアのギヨーム・アポリネールが元祖と目される。社会的に権利を様々に主張するような形で作詩することができた。そこまではヴィヨンは行ってなくて思想を汲み取るのも古代文明と同じように難しいし、作品から唐突に知るすべはない。


ある意味、全然、悔い改めてないようにも見えるし、下劣だから「良識」は自分には無理だと開き直ってないともかぎらない言葉遣いだけど、ただし現代よりも深い意味合いで理由はちゃんと持っていると認めるべきだろう。


本当に仕様がない、下劣でも。国が予め「良識」をきっちり与えるように制度化されてなくて生き方も合法的に何なのかと知るよしもなさそうな状態だったかぎり、人々の犯罪は天災と殆ど変わらない扱いを受けていたのではないか。さもなければ反省も口からの出任せに過ぎなかったはずなので、処刑されるのを嫌がる余りの自己欺瞞が得てして飛び出さなかったところは感動を呼び起こしもする。


ヴィヨンは流石に詩人だった。人生で最も恐ろしい死に対しても自分自身を「良識」へ少しも偽ろうとはしなかった。他面、下劣な気持ちのままに首吊り人のバラードを紡ぎ出しながら「許し」を見据えて結果的に詩になってしまう感じなのは驚くべき才能だろう。


言葉に真実味が宿っていて自然に生まれている雰囲気が奇跡的な印象を与えて止まない。


参考:フランソワ・ヴィヨン ヴァロア朝 吊るされ人のバラード ヴィヨンの墓碑銘(首吊りのバラード) ヴィヨン『雑詩』

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