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夏の暑さに参るから雪の写真を取り出しながら涼もうか

雪の積もった木

昔よりも信じ易くなった、人の心向けを。風鈴の音色にしてもどこが涼しいのかと疑っては特に何も始まらない。というか、本当は涼しくないから風鈴や雪の写真は良いんだ。


どちらも夏の暑さに参っていると考えると自分と同じだった。心の励みになるところが捨て難い。一緒に頑張ってくれているわけなので、よもや頼もしいかぎりだろう。


人の情けが大きい。風鈴や雪の写真にはそれが託されている。暑くても倒れない願いがあると分かれば向こうから自分に跳ね返って来る。この瞬間こそ心の底から涼しいと計らずも雄叫びを上げたくなるほどの世界が湧いて来てしまうようだ。なぜかしらと正しく思うよ。


根本的にいうと倒れなければまだ涼しいかも知れなかった。ほんの僅かな些細な日常でしかないくらい取るに足りないような暑くなさを認められるかどうかが気持ちの分かれ道だった。参りつつも過ごし切れるうちは涼しいと呼んで強ち誤りではない。


するや願いは大切だ、本当に。願いが風鈴や雪の写真を通して涼しさにほんの僅かでも気付かせてくれた。気温は全く変わらないのに気持ちが暑くて参るよりも涼しくて耐えられるとなると過ごし易さも同じように変わるんだ。


専ら涼しくなくて良いものが涼しさをきっちり運んで来るから人生も止められなさそうだ。だったら最初から願っておくべきだったのではないか。悲しみに覆われて気付かない世界を明るみに出せるのは喜びを願ってこその成り行きだった。


些細な日常の視点からすれば何事も気持ちで十分なんだ。耐えられるかぎり、決して終わりではない。笑えるものは笑い、泣くしかないものだけを泣く。


風鈴や雪の写真にも涼しい気持ちのかぎり、決して暑くはないはずだし、快適そのものだ。

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