日々、追い詰められていて忙しさの余りに参ってばかりいるのはホームページに載せてない詩が多いせいでないかと思ったんだ。
何をやっても予定が進むどころかどんどん引き離されさえもしまっているなんてあり得ない。心深く焦り続けているように物事がしっかり捗らない、創作活動にも打ち込み切れない感じが残っているのも手元に抱える詩の数々をホームページ(ブログへ移転)にいつか載せなくてはならないとした現実にどうしようもなく苛まれる結果ではないのだろうか。
出すべきものはさっさと出しながらやれば次の新しい全てにも急ぎ捲らずに済むように感じられてならない。
するとやはり予定を立てることが大切なんだ
他の動きを止めてでも先に求めるしかない。一つの大きな予定を残しているから何かも落ち着かないに等しいわけで、これは決して目標ではないかぎり、本当に酷い忙しさだ、ドライアイで目がガビガビなんて汚れたコンタクトレンズを知らずに付けていた頃と何一つ変わらないし、放っておいては碌なことにもならないだろう。予定を立てて載せられる詩集は漏れなく、ホームページに載せて行って満足しながら御馳走でも平らげたような気分から右横腹を右手で宜しく叩いた後ならば日々を安定して暮らすことが素晴らしくできそうだ。
立て続けに自作詩集のDusty diamonds、真っ只中、レジリエンスを公開し出している。ちゃんと載せられた詩集もあるし、デザインは後回しで詩だけを載せる詩集もあるし、とにかく詩を手元に抱えておかないことを重視して最速でやるには詩集のデザインは後回しで、ホームページの更新情報も後回しで、今此処では詩を載せることだけに集中したいと考えている。
ホームページに一つの詩集を載せるのに半日以上もかかる。計算すれば一日に一つの詩集でも楽に終わるはずなのにどうにも気が向かなくて殆ど実行されて来なかった。
もしかすると恐がっている。未公開の詩集を全てを出したら自分には何も残らないのではないか。とはいえ、インターネットの外で余りに喜び過ぎていてもサイトの訪問者への愛を削がれ兼ねない。ホームページやブログで隠し立てせずに訪問者と喜びながら気持ち良く抱き合えるような管理人になることがアクセスにもきっと繋がる。分けてもサイト運営の潔さが問われている。
人々への自己表現は全力では伝わらないのかも知れない。
超全力でやってやっと普通の思いが受け取られるみたいだ。自己表現だから気持ちではないので、大変ではない。ちょっとした違いで伝わり方が変わる。詩集を完全に公開しても人々には本当に完全かどうかの事実は掴めないにも拘わらず、尤もらしく認められるならばスタイルに合うせいだろう。このホームページにはこのくらい詩集がないと胡散臭いデザインだと誤解させてはならない。やれば間違いなくできるし、できなければ所定のデザインも又生まれては来なかったはずだ。そして全力よりも超全力と分かって貰えればそれだけ死に物狂いで取り組んでいるんだと又来てみようかとかどこかにリンクを貼って世の中に広めたいなんて感じが増すのではないか。
昔のホームページの作詩の公園が盛り上がったのも掲示板で情熱が与えられたからだろう、訪問者に。馬鹿みたいに真面目だった。一円の得にもならないし、只の通りすがりに「何も出ないよ」(人魚的な人)と押し退けれる気持ちへでも火だるまの如く呼びかけていた。激しく燃え上がる情熱を知られるほどに常連が出て来て常連の魅力に引き付けられて僕からはもっと遠い縁のなさそうな人たちまでもが訪れるようなホームページに変わって行った。
サイト運営の個人的な繁栄の軌跡だけど、掲示板で美しく描けないかぎりはデザインに取り入れなくてはならない。ところが全力でも駄目みたいで、ホームページもブログもアクセスは伸び悩むし、外部サイトからのリンクも大して得られない。超全力で今こそ炎を捧げ持つときだ。命懸けの思いを明らかに示さなくてはならない、誰にでもタイトル通りの「Forevermore」(永遠)が噛み締められるように。
詩集はさらに七つくらいまで追加できると思う。計算すれば一週間で終わるにせよ、様々な事情から遅れざるを得まい。ただし最速の予定は立てられた。できるかぎり、詩集を優先して更新して行くつもりでいる。一ヵ月以上はかけたくないし、これだけは天使に約束しておくよ。
そして皆へも同じように伝えておいてくれ、望みこそ。
完成してなくて公開するにはもうちょっと時間がかかりそうな詩集もある。悩みながら仕舞い込むわけには行かないだろう、もちろん。自作詩集の一人遊びのように未完成でも残りの詩は随時追加として出すしかない。他の創作物でも変わらないし、全てを一気に載せることが正しいみたいに考える必要はないんだ。忙しければいつまで経っても載せられなくて詩集の全ての詩を公開しないままに死んでしまったらどうにもならない。人生にとっても予定を遅らせる方法は避けて通ることが賢いといって良い。
意気込みが求められる、予定を立てて速やかに実行するには。
詩人ならば詩や詩集を率先して出すべきだし、それこそ「がっ付いていると思われないか」(正直な人)とアクセスを目指しながら幸せを取り逃がしていた。訪問者を増やそうとGoogle検索の研究が大きいけれども他の物事にどれだけ時間を費やしても自分らしさを等閑にしては誰も付いて来ないわけではなかったか。詩集のない詩人では信用されない。どんな詩人なのかがすんなり理解される詩集は用意しておくべきというと世の中でも同じだろう。
ただし世の中と同じでは抜け出せないのもインターネットみたいだ。目の前に立っていれば分かるはずの人柄でもモニターを通せば薄められてしまうと考えられる。
全力では駄目だし、アクセスに結び付かないから超全力でモニターを飛び出すくらい勢い良く、すなわちリアリティーを自己表現に備えて頑張るし、そのように実感できる形を、譲れない気持ちを所有サイトの全てに波及させる手始めとして何よりも詩集を今現在の自分らしさに相応しく出せるならば嬉しい。
胸熱く夢見てこその生き様に素晴らしい日も巡り来そうだ。
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