詩と人生のためにダ・ヴィンチのモナリザに隠された芸術上のヒントを追え 結城永人 -2016年8月17日 ホームページ(ブログへ移転)に「詩集はさらに七つくらいまで追加できると思う」といった予定は無事に遂行された。 新たに追加された詩集 風のシエスタへぞなこそもにを心当てあらまし柄の遥かに救いの手夕凪へ 公開した詩集も全部で二十二に増えた。気持ちは、大分、落ち着いて来たし、ホームページにいつか載せなくてはならないとした焦りは解消されたといえる。 昔の詩集だけれども詩の題名や本文や詩集での並び方も変えながらやっていると今だからこそ出せたのかと思ったりもする。 一度は完成品として公開しておきながら後から修正せざるを得なかったものもあるし、どこで区切りを付けるかとなると芸術家にとって芸術作品において俄かに問題視されて来る。 芸術作品の区切りというと真っ先に思い浮かぶのがダ・ヴィンチのモナリザだ Mona Lisa by Leonardo da Vinci / Public domain 完成してないんだ、本当はというか、作者にとって。どこからどう見ても完璧に感じられる絵ではないか。 しかしながらダ・ヴィンチは死ぬまでモナリザに筆を入れ続けていたらしい 誰かに見せてもいなかったみたいだ。一人で後生大事に抱えながらアトリエで何年もかけて描き続けながら亡くなってしまった。 こういうと他にも例はある。絶筆とされる自己表現の中ではカフカの城や審判、日本ならば夏目漱石の明暗といった小説が個人的に気になる。作者の死によって妨げられずに書き続けられたらどうなったかと未完成の残りを想像させられて止まないんだ。 ダ・ヴィンチの『モナリザ』という未完の絶筆 レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた『モナリザ』は、世界で最も有名な絵画の一つです。その神秘的な微笑みや、スフマートと呼ばれるぼかし技法による柔らかな質感は、見る者を魅了し続けています。しかし、この名画は実は未完の作品であることをご存知でしょうか。 なぜ『モナリザ』は未完なのか レオナルド・ダ・ヴィンチは、完璧主義者として知られていました。彼は、絵画だけでなく、科学や発明など、あらゆる分野に興味を持ち、深く研究していました。その結果、一つの作品に長い時間を費やし、なかなか完成させられないことが多かったのです。 『モナリザ』も例外ではなく、レオナルドは生涯を通してこの作品に手を加え続けました。特に、背景の描写や、人物の表情など、細部にわたって何度も描き直した形跡が見られます。 未完だからこそ魅力的な理由 『モナリザ』が未完であることは、むしろ作品の魅力を引き立てていると言えるかもしれません。 神秘性:完璧に描き込まれていない部分があることで、見る人の想像力を掻き立て、様々な解釈を生み出します。 生命感:常に変化し続けているような、生命感あふれる作品となっています。 芸術性の高さ スフマート:レオナルドが得意としたスフマート技法は、人物の肌の質感や、背景の空気感を、まるで生きているかのように表現しています。 ピラミッド構図:人物の配置が安定感のあるピラミッド構図になっており、視線を中央に集める効果があります。 遠近法:背景の風景が遠近法によって奥行きを感じさせ、立体的な空間が表現されています。 『モナリザ』の謎 『モナリザ』には、未だに解き明かされていない多くの謎があります。 モデルの正体:誰がモデルなのか、様々な説が提唱されていますが、確証は得られていません。 微笑みの意味:彼女の微笑は、幸福、謎、それとも皮肉を意味しているのでしょうか。 隠されたメッセージ:絵画の中に、レオナルドが何かしらのメッセージを隠したのではないかという説も存在します。 まとめ 『モナリザ』は、単なる絵画を超えて、人類の知的好奇心を刺激し続けています。未完であるからこそ、人々の心を捉え、永遠の謎として語り継がれているのかもしれません。 ダ・ヴィンチのモナリザは未完の絶筆とはいえ、ちょっと違う。もう十分に完成しているんだ。未完成の残りは全く気付かれないし、後生大事にの言い伝えからすれば何だろうと首を傾げざるを得なくなる。 只の煽りかとありもしない謎を匂わせるためにわざわざ筆を入れ続ける振りをしていたに過ぎないとダ・ヴィンチの脇腹を人差し指で突いてみても気持ちそのものは分かるわけでもなさそうだ、夢の中でただし。 生産的には参加することに意義があると知られるオリンピックと変わらない。描き続けることに意義のある絵、やり続けることに意義のある芸術、創作活動をダ・ヴィンチは身を以て教えてくれていたのではないか。 もはや人生と切り放せないくらい作家自身が作品になってしまっているんだ 僕は「パフォーマンス=アート」というけど、とにかく死ぬまでモナリザを描き続けて作品として完成したかどうかも関係ないところまで達したダ・ヴィンチには恐れ入る他はない。 人生で芸術家に区切りがないように芸術家で作品に区切りがないと考えると詩集の綴じ方にも一定の限界を持たせざるを得ない。コンセプトで諸々の詩を纏めなくては行けないけれども後から直すにせよ、直さないにせよ、余り気にし過ぎても仕様がないだろう。 大事にしたいのは地面を踏み締めて前進するための靴紐が切れないようにしっかり結んでおくように固める自分としての決意だ。決意が揺らいではコンセプトもぼやけしまわざるを得ないはずだし、詩集そのものがもはや纏まらなくなり兼ねない。 これは個々の詩、文章一つ、言葉一つでも決意から来ていればそれぞれに同じだし、他の芸術、創作活動の仕上げでも変わらず、翻っては人生の場面にも当て嵌まる。全体的な纏まりの良さは部分的なそれに基づかないかぎり、得てして粗が目立つとか泣かされるような嵌めに陥り易い。 些細な日常から人生を捉えて膨大な幸せを呼び込みたいけど、作品でも部分から全体へと纏め上げて行かなくてはならない。 決意が問われる、逐一。それでも、尚、結果として違和感が残るとすればもう本当にダ・ヴィンチだし、溜め息混じりの芸術、創作活動、そして人生において共感を抱くほどに意気こそ増さしてくれるんだ。 詩的にいえば光明だろう。些細な日常にやはり転がっているわけだから決意が傾けば自分にとっては手当たり次第に気晴らしみたいに掴んだ光明のかぎりを尽くしてやり続ける、何事も。 かねて自作詩集の終わらなくてもで永遠に歌ったけど、見えない出口に藻掻き苦しむばかりの絶望的な状態は抜け出せるかどうか、溜め息の向こう側ででも生きられると良い、命が惜しければいつの間にか通り抜けて行ったように。 ダ・ヴィンチのモナリザの美しさも正に一人の画家が光明のかぎりを尽くしたところに受け取られるのではないか。 関連ページ宜保愛子のレオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザの否定できない霊視モナリザの見えない三層目に残されているモデルのリザ・デル・ジョコンドの復元図レオナルド・ダ・ヴィンチのアイルワースのモナリザは真作といって良いのでは コメント 新しい投稿 前の投稿
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